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インドの三浦先生から近況報告がございました。(結婚報告!)

 私三浦守は、この度、インド・ナガランド州ナガ族(チャカサン部族)のKuduvolu Lohe(ドボル・ロヘ)と結婚いたしました。

 彼女との出会いは今から約1年半前、外国人の入州の厳しいナガランド州デゼペ(DIEZEPHE)村に珍しい織物があるという噂を聞いて一人で探しに行ったとき、村の男たち数人に取り囲まれ、青くなり、あれやこれやとボディランゲージで彼らに説明していたら、偶々近くを一人の女性が通りかかったので、大声で手を振り助けを求めたところ、彼女は私の話を理解し・・、男たちから無事解放されました。長く色々な国を旅していますが、これほど恐怖を覚えた経験はなく、地獄から天国を見た思いでした。
 それから、彼女と話をする中、偶然にも彼女がナガ織のインストラクターをしていることが分かり、これを切っ掛けに急速に縦糸と経糸の関係が深まり、結婚に至りました。後でわかったことですが、彼女はこの村の酋長の娘で、私もこれから、酋長の後継者として何かと忙しくなりそうです。

柔道部の皆様に、宜しくお伝え下さい。


ナガランド州ディマプル市デゼペにて

2016年6月吉日

ナガランドについて

ナガランド州(英語: Nagaland)は、インドの東部にある州の一つ。州都はコヒマ、州内最大の都市で経済・交通・軍事の中心となっているのはディマプル。人口は約200万人(2001年)。
ナガ族はビルマやアッサムと文化と経済で深い繋がりを持って来た。ナガランドの古代・中世における歴史は明らかではない。アッサムやナガランドのナガ族と比較して、マニプルのナガ族には文化的に大きな違いのあることから"Kaccha Nagas (Fake nagas)"とも呼ばれている。1816年のビルマが侵攻してその支配下に入った。19世紀前半、イギリスがこの地の西側のアッサム州まで勢力を拡大し、アッサムの紅茶産業を隣接するナガ部族の襲撃から守るに苦心した。第二次世界大戦中の1944年、この地まで進出した日本軍をイギリス・インド連合軍が撃退した。また、ナガランド州の南にあるインパールでも、日本軍の攻撃は阻止された(インパール作戦)。日本軍がインパール作戦に入るまではナガランドはイギリスの支配を受けておらず、インドがイギリスから独立する前日の1947年8月14日に独立宣言を行う。1947年8月15日より、イギリスから独立したインドの一部になっているが、インドからの独立運動が続いており、現在でも一部の勢力はインド政府に抵抗している。
1993年、ナガランド紛争(ドイツ語版)。
インド人民党とナガランド人民戦線 (NPF) が連立しており、ローク・サバー(インド下院)では、NPFが1議席を持っている。
先住民族のナガ族(アンガミ・ナガ部族(英語版)・レングマ・ナガ部族(英語版)・ロタ・ナガ部族(英語版)・アオ・ナガ部族(英語版)等の主要16部族)が多数派を占める。
様々な少数民族が居住し、インドの他州と異なった独自の生活習慣を維持している。その多くは統計上農業に従事しているが、実際の所得の多くは政府からの補助金。
ヒンズー教が主流のインドとしては異例に、住民の90%がキリスト教で、他にメーガーラヤ州とミゾラム州もキリスト教が主流である。宗教的にはアメリカの宣教団によるキリスト教布教が成功しており、ほとんどの住民はキリスト教を信仰する。特に「世界で唯一のバプテスト教会が主流の州」として知られている。 (ウィキペディアより)