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 九州電力柔道部インド遠征記 3
やられた・・・。
インドでやられた・・・。
え, 何をやられたかって?
まっ,ここに書いた旅行日記を読んで戴ければ,きっと判ると思います。
それでは,はじまり,はじまり
てっちゃんのインド柔道旅行日記 

福岡東営業所
営業課
高山 哲也
 10月24日 
朝,6:00出発,かなり眠い。
福岡空港から一度成田へ,乗り継ぎの待ち時間が,なんと5時間(マジで。)ま,それにもめげず,インドへ向けて,心躍らせる我ら九電柔道部軍団。インドへ向かう意気込みなどを,ビデオに収め,飛行機に乗り込むと一路インドへ,いざ出発。
までは良かったのであるが,飛行機の中はインド人だらけ,お香や香水などインド人のニオイで溢れかえっている。しばらくして,私がヒンディー語の会話本を読んでいると,二人のインド人男性が話し掛けてきた,私は覚えたての言葉でにこやかに返事をした「ナマステー」会話はそこで終わった。
インドに着くと,三浦先生とコーチそして生徒である子供が二人出迎えてくれた。バスに乗ると私は,二人の生徒マンディーブ(17才 男)とギーレン(16才 女)に会話本を見せ言葉を教えてもらった。それが数時間経った今でも私の頭に残っているかは,さだかではないが。
ホテルハイアットは,すばらしい,ゴージャスの一言である。夕食はバイキング(ほとんどカレー)かなりおいしい(サフランや香草入りを除けば)太るかも(デブ!)。
 10月25日
ナマステー,朝食はgood。
パンは美味いし目玉焼きはあるし(インドの卵って黄身が白いんですよ,奥さん)でもメインはカレー。(すでに,いやになってきた)
バスで外に出ると,ホテルのゴージャスな世界とは一転して路上生活者と野良牛で溢れかえっていた。大通りでは,青い綺麗なサリーを着て母親に手を引かれ信号が変わるのを待つ子供の50m先には,新聞を抱えた裸足の少年が路上に座っていた。胸が痛くなった。(カースト制の真実を垣間見たような気がした)
日本大使館での挨拶を済ませ,近くのパブリックスクールでデモンストレーションを行った。(なかなかうけた。ウフ)(初めてサインをねだられた。優越感)
昼食はデリー一の中華料理店との事。味のほうは・・・。(中華風インド料理)
(トイレに入ってびっくり,小便器が高い。足の短い私は,用を足した後モノを振ると,ペタペタと便器に当たりそうである。)
役所で青少年教育局長と面談,英語とヒンディー語が飛び交いさっぱり分からない。ただ,コップで出された水は怖かったので飲まなかった。

スリランカのコーチ・子供達と
 ニューデリー駅へ向かう町並みは,まさに「インド」のイメージそのものであった,建ち並ぶ商店,犇めき合う屋台,ごったがえす人々,道路には車・バス・自転車・野良牛が交差しクラクションの音がけたたましく響いていた。
ニューデリー駅〜アムリトサル駅へ日本でいう新幹線に乗って行くと言う。(ガイドのアトム談)電車に乗ってみると,「うそ」と思わず言ってしまいそうな雰囲気,革張りのレトロな座席・外の景色があまり分らないような窓・扉に至っては手動であり,走り出しても一時の間は開いたままだ,何故かと見ていると,走りこんで飛び乗ってくる人がいる(おいおい本気かよ)
 席に座っていると,スナック・ジュース・ミネラルウォーターが次々と運ばれて来る。少し経つと今度は夕食が運ばれて来た,メニューは{チキンとエッグのカレー・豆のカレー・ライス・薄いナンのような物}インドに来て2日目だが,ライスが一番口に合わないような気がする。
途中,時速100qで走行中扉を開けて,身を乗り出したりしながら涼んでいると,一人の老婆が
開いている扉に近づいていく,(まさか身投げ???)しかし,老婆はしばらく空を眺めると,席へ戻って行った。インド人のコーチに何をしていたのか尋ねると「今日は,夫の長寿を願って女性たちが断食をする御祭りの日だと言う,この日女性たちは食事が取れないかわりに,月を見て食事の代りにするのだと言う。」この話を聞いた時,あまりのロマンチックさに胸がいっばいになると同時に,日本ではもうなくなったものに触れたような気がした。私の感動は休まる事を知らず,駅では花の首飾り・フラワーシャワーで,子供たちが笑顔で迎えてくれた。(ありがとう??)
ホテルへ着くと,入口の上に大きな★が四つ輝いていたが,初日がハイアットだっただけにボロく感じた。アムリトサルでは,1・2のホテルらしいがお湯が出ない,ようやく出たのは10分後の事だった。これからの滞在に抹の不安を憶えながら就寝。(いよいよ,明日から本番である。しっかりやるぞ!)

 10月26日
今日は合宿初日,張り切って練習場がある,警察経営のパブリックスクール(小学生〜高校一年生が学ぶ)へ到着。校内ではバスケットボール(結構,盛んらしい)の試合が行われており,非常に盛り上がっていた。校舎内に通されたのち校長先生に挨拶をするということでロビーで待たされた。日本人は,そうとう珍しいらしく,子供達ばかりか大人までもがじろじろとこちらを観察している。(見世物じゃねえぞ。)勇気をだして,一人の子供が話しかけて来た。それを見た他の子供達が,次から次へと群がってくる。(宇宙人になった気分である)みんなビデオカメラに興味津々,私は子供達と写真を撮ると,女の子からキャンディーを貰った。(ストロベリーミルク味)やさしいのねー。(インドの子供達は,みんな顔が良くスタイルもいい,なんといっても足が長い,私の場合・・・)
さんざん待たされたあげく,校長先生には会えず仕方なく道場へ,道場ではまたも子供達からの首飾りとフラワーシャワーの大歓迎。喜びと同時にやる気が湧いてくる。
今回の合宿には,インドからデリー,アムリトサル,シムラー,マニプルの4都市に併せ,タイ,スリランカ,そして日本と全7チーム(7ヶ国語)が集まり行われる事となった。    まず,簡単な自己紹介を済ませ,私と前田君で形の披露。しかーし,畳が硬い!コンクリートの上に直接敷いてある(ベリーベリーハード)たまりません。前田君も終始小声で「痛い,痛い」と呟いていた。
続いて技の講習,宗さんの大外,福田さんの体落し,私の背負い,説明をしながら改めて人に教える難しさを痛感。自分が自分の技に対して,しっかりとした≪理論≫持っておかないといけない。  「反省」
三浦さんも,とても嬉しそうで,あれも教えてくれ,これも教えくれと言った感じで結局,終わったのは14時(腹へった。)
 昼食はファミリーレストランのような所で,かわいい女子大生のグループを見ながらのカレー
大皿の中にはナンと小さな容器に分けられたカレー(チーズのカレー・豆のカレー・野菜カレー・ヨーグルトが入っていた)ナンとチーズのカレーは最高に美味しかった。(私はナンを3枚食べてしまった。しかし,記録は福田さんの5枚(食べ過ぎである))
ホテルにて,しばし休憩。
夕方の練習は16時30分からだったので道場に行くと誰も来ていない,ガイドのアトム言った「これが,インド時間よ!」おいおい。

子供達はビデオカメラに興味津々
 全員集まったところで,受け身からやらせて見たが,きれいに出来るのは4人程度,後はメチャクチャ,何度となく教えたが,みんな,速く回転することしか考えておらず,なかなか上達しない。打ち込みについても同じであり,速く速くとスピード重視になり,技自体はバラバラである,もちろん指導者がいないという事も要因であるだろうが。
私達は,今回の指導のなかで「一番大事なことは基本である。」と言い続けていくつもりである。私も,「ゆっくりでいいから一本一本を確実に打ち込め」と言って行くつもりである。
ただし,彼らから学ぶところも多い,彼らの好奇心・向上心・素直さには,関心させられる。
みんな「自分の技を見てくれ」といった感じで,引っ張りだこである。私が教えている,マニプルの子供達は,目を見張るものがある。男の子二人はかなりのレベルに達している,聞けば彼らは合宿生活をし,一日5時間練習しているという。 すごい。
中でも私が注目しているのが,柔道を初めて5ヵ月という女の子がいる,力がある上,素直で吸収が早い,なかなか面白い存在である。
練習が終わり,彼らが挨拶に来たかと思うと,私の足を触ってくる,「なんだこいつ等は」と思ったが,意味を聞くと,目上の人,尊敬する人,先生には,敬意を表しそうするのだという。
明日の練習も,何が起こるか非常に楽しみである。
今日の夕食はカレー(結構,飽きてきた。)夕食後,ガイドのアトムの部屋にて,みんなで飲んでバカ話に華を咲かせた。(そして,にぎやかに夜は更けていった。)
 10月27日
今日は,夜中から下痢がひどく,3回も起きてしまった。
道場に行っても,我慢できずにトイレを聞くと,ドアが閉らず,電気もない,便座はペンキだらけ,おまけに,最後は水が流れない,バケツに水を汲んで流す有様。(情けない)
なんとか午前中を乗り切った。
昼から観光,シーク教の寺院(聖地)であるゴールデンテンプルでは,頭に布を巻き,裸足になって中に入らなければならなかった。中ではその広さ,またその美しさに圧倒。パンツ一枚になり,寺院内の池で沐浴している人も多く,我らの代表として,前田君が入る事になった。思えばこのあたりから,私の腹部は波打っていた,まだ半分も来ていない,トイレを聞くが寺院内には無いとの事,体全体から冷たい汗が流れてくる。ゆっくりと進む列のなかで,説明の声は聞こえず,歩くこともままならない,ようやく外に出てトイレへ一目散。が,なんと,電気がつかない
扉を閉めると真っ暗闇である。(もうどうにでもして)和式タイプの便器に暗闇であるため,的を得ているのかどうかさえ分らない。(日本から持参のトイレットペーパー大活躍)
結局,昼食も取らず,午後の練習も休み,夕食もレストランへは行かず,日本から持参したインスタントのごはんと梅干を食べた。情けなさと腹の痛みとごはんのうまさで泣けてきそうになった。    
インド最悪。
 10月28日
一夜明け腹の痛みも大分良くなった。(下痢はまだまだ最高潮)
7:00より練習,背負い,袖釣り込み腰を教えるが,なんだか形が悪い,マニプルの男の子が一人良い動きをしている,足取りや肩車などの技が多くもったいない。足技と背負い,体落しを重点的に掛けるよう指導,マニプルの女の子は,いいパワーを持っているが,乱取りとなると腰を引いてしまっている,彼女には,姿勢を正しくすることを,まず教えていこうと思う。

キルティアンスクールでの歓迎
 昼からは,アムリトサル近郊の学校へ行き,セレモニーがあった。(この学校の校長は,三浦さんの道場のコーチである,ラグヴィンダル・シンのお姉さんで,柔道に興味を持っているとのこと。)形・飛込み受身・投げ込みを行い,私と河辺さんで試合形式のデモンストレーションをやったとき,たまたま客席に突っ込んだら非常にうけたため,調子に乗ってやっていたら,河辺さんが膝を怪我してしまった。(すみません。)
インドの人達の歓迎の踊りなどもあり,大変面白かったが,一番面白かったのは,河辺さんの
「君が代」斉唱。(最高)
夕方は,数人の体調が悪いという事も有り,(私が一番)宗さんと前田君は練習へ,残りは,パキスタンとの国境見学に行った。国境に近づくにつれ,薮の中に戦車などが隠してあり,そのものものしさにちょっと震えた。
門兵交代のセレモニーでは,大きな動きをする度に,両国の見物人から歓声が起こり,まさに国同士の意地の張り合いといった感じである。(この時すでに,トイレットペーパー必ず持ち歩く生活になっている。)

 10月29日

7:00より練習。
大内刈り・足払いといった足技を中心に教えるが,全体的に足技が下手である,というより,足技をしようとしない,我々全員,足技の大切さを教えようと必死である。
福田さんの足払いについては,まさに芸術的,受けをした私も本気で宙を舞っていた。足を払うタイミング,手の使い方,自分自身,学ぶ所が多く一所懸命であった。
みんなが,いろいろな技をやりたがっている中で,「自分の基本となる技を一つだけこの合宿のなかでマスターしろ」と激を飛ばす。
10:30〜観光
ヒンドゥー教の寺院を見た後,馬車に乗り町のなかを観光,途中,馬車同士がぶつかるなどのハプニングもあり珍道中であった。
昼食はピザ,ハンバーガー(キュウリとトマトはどけて),フライドポテト,コロッケ(カレー味),トマトスープ,なかでもミネラルウォーターがおいしかった。
午後の練習は,コンビネーションテクニックとして,連続技の練習,はっきり言ってぐちゃぐちゃ,はじめから後の大技のことばかり考えて,足技がおろそかになっている。
マニプルとスリランカの子供達はなんなん出来ているが,インドは国民性なのか,見ていないと何もしない,そのくせ近くを通ると「どうだ,,見てくれ」と言わんばかりに始める,おまけに,技を掛けているときもこっちを見ている。(ちゃんと見てるからさっさとしろ)
夕食はタイの生徒とデリーの生徒が来た,話の流れから私は,ドラえもんにされたが,タイの子達はみんなノリがよく,とてもかわいい,宗さんもかなり気に入ってる様である。
みんなで記念撮影をしお別れ。
明日は練習最終日,頑張るぞ。

 10月30日
今日は合宿最後の練習,今までの復習と我々の持ち技を披露,今までで今日が一番みんなの目が輝いている気がする。(みんな,かぶりつき)
しかし,みんな今回の合宿はほんとに良く頑張ったと思う,多かれ少なかれみんなそれぞれに,進歩がみられた。
 練習終了後,マニプルの生徒が,私の両足首を握り礼をとっていた,その後も,私の柔道着を畳んでくれたり,バスまで見送ってくれた,彼らを抱きしめたとき,熱いものが込上げて来たのを今でもはっきり憶えている。
夜は生徒達が泊まっているゲストハウスでのセレモニー,各国のみんなが歌や踊りを披露,
一番ちっちゃなインドの子供「サニー」のダンスはかわいくて最高,昼間の練習は頭が痛いと休んでいたインドの生徒もノリノリで歌っていた。我々もお返しとばかりに全員で「乾杯」
熱唱。拍手喝采。雨あられ。

印パ国境でのセレモニー
 みんなとの別れを惜しみつつホテルへ帰り,今度は,コーチ陣との晩餐。
やっと出番がきました,河辺さん,我らが宴会部長,ギター片手に大熱唱。堺さんは,スリランカのコーチに是非,教えに来てほしいと,依頼を受けていた(堺さん,頑張ってください。)
その後,宗さんと前田君は,またゲストハウスへ夜這いへ,いやいや遊びへ行ってしまった。
明日5:15の電車で福田さんが帰ってしまいます。(さみしい)
 10月31日
昼からアムリトサルの町を観光,私と河辺さんは,腕に絵を書いてもらった。(タトゥーではありません)
17:00の電車でデリーへ向かう,ついにアムリトサルを離れる,少し寂しい気持ちなった。
電車の中では,相変わらず次から次へと食事が運ばれてくるが,何も手につかない。(もうーいや)
デリーへ到着。ハイアット最高。ばんざぁーい。
 11月1日
バスで一路アグラーへ(4時間半の道のり)
ガイドのアトムの話では,インドの高速道路を走るとのこと,とくに関心も持たず聞いていたが,高速に乗ってびっくり,自転車が走っていた,人が歩いていた,そして牛が横断していた。


コーチ MVPの堺に三浦さんから記念品
 なによりびっくりしたのが,正面から車が走ってきた,逆走である。(ウッソー)
聞けば,インドでは日常的なことであるという。よく事故が起こらないものだ。
途中,昼食に寄ったのはなんと,「マクドナルド」もう感激,フィレオフィッシュバーガーを注文,もう最高。前田君が注文したチキンバーガーはスパイシーだったみたい(インド仕様)
そんなこんなでアグラー城へ到着,バスを降りるとすぐさま物売りが寄ってくる。(うるさい)
物売りを掻き分けると,どこまでも高く,どこまでも広がる城壁。城に入る前から圧巻。

城に入ると,美しい庭,城内外に施された彫刻,戦争によって奪われてしまったものの僅かに残る宝石の数々,全てのものが美しく,すばらしい。そしてなんといっても,アグラー城から望むタージマハール。(言葉にならず,ただただ写真に収めるだけ。)
〜夜,ホテルでホラー映画を観ていたら,停電,シャレになんないよ。〜

 11月2日

今日は,いよいよタージマハールヘ,タージマハールはお墓であり,その周りを排気ガスなどで,汚すことは禁じられており,途中の駐車場から電気自動車で移動,バスなどもバッテリーカーであり,その馬力に驚いた。
中へ入ると,そのスケールの大きさに絶句。これが,王妃のためだけに造られたお墓だというが,今の時代に生きる私にとっては,創造の出来ない事である。(まだまだお腹は絶不調)
夜はデリーへ戻り,インドの日本人会の皆様に,ご招待を頂いた。三井物産の支社長宅にて,パーティー,日本の米,煮物,寿司,なんと刺身まである。幸せ。
明日は,いよいよ日本に帰国である。

 11月3日
今日は,朝からデリー市内の観光,ヒンドゥー教の寺院,世界遺産等を観て回ったが,続く下痢
食事をまとも取っていないことで,体力の限界,半分はバスの中にいた。
空港へ向かうバスの中,ガイドのアトムが,声を震わせながら最後の挨拶をしていた。「どおも,どおも,どおも」アトムさん,本当にいろいろありがとうごいました。
飛行機の中,やっとカレーから開放され,日本食が食べられると思ったら,隣の客はインド人,彼の機内食は,もちろんカレー。(もう,その匂いは,勘弁してください。)

 さいごに…
今回の遠征を振り返って,私,自身すばらしく貴重な体験が出来たと思います。インドという遠い異国の地で,言葉も通じず,生活習慣も違う,4カ国の人間が,7つの言葉を飛び交わしながら, 「柔道」という一つの武道を学び,理解して行く,その空間に自分が参加出来た事は,これから先も,自分の自信に繋がる大きな宝にになると思います。
確かに,素敵な思い出ばかりではありせんでしたが,全部ひっくるめて,インドという国に触れ少しでも理解できたと思います。
日本で暮らす私達が,日常の中で当たり前に送っている生活が,いかにすばらしい事であり,当たり前と思っていることが,いかに重要な事なのか,外に出て少し分ったような気がします。
今回出会った,インド・タイ・スリランカとも,今後これから「柔道」を通じ,体をぶつかり合わせながら,心を通い合わせ,お互いを理解し合えるような関係を続けていきたいと思います。
今回は,インドのすばらしさ,人間のすばらしさに,やられました。
 
 九州電力柔道部インド遠征記 4


出発前
九州電力株式会社 柔道部
前田 貴志
 今回このインド遠征の話をうけて、異国へ訪れる素晴らしいチャンスだと思い、すぐに立候補した。特に柔道を通じて異国の人たちとコミュニケーションを取れるということはたとえ言葉が通じなくてもそれだけで深くふれあう事ができる。そう考えたからだ。
 そこでインド遠征に向けていろいろと考えたわけだが、私自身柔道にたずさわり、はや20年になる。ここまでくれば流石に自分の柔道スタイルを確立し、そしてその技術を後輩たちに指導してもおかしくないはずである。しか〜し、実際は私の柔道は特殊らしく(私の頭の中ではかなり正統派柔道なのだが・・・)だれも教えを問うものはいない。そこで異国であれば私の技術も役に立つかもと、これで柔道に貢献できると胸を躍らせてインドに向かうこととなったのである。必ず前田柔道を世界に広めるとの野心をもって。
10/24
インド出発
日本もいよいよ寒くなってきたその日、どきどきしながら6:30空港へ。インドはまだまだ30度はあるという話だが夜は気候の差があり冷え込むとのこと。みんな長袖のシャツに身をつつんでいた。そこへ今回のキャプテン渡邊さん登場・・・あ、半袖だ、あれ
渡邊さんインドじゃなくてハワイ行くのかな?と錯覚を起こしたが、気合のあらわれだった模様。飛行機も羽田経由でインドまで16時間かかったが私は特に苦にならかった。

インド到着
三浦先生が空港で出迎え。そしてターバン(スィーク教)の二人組み、ガイドのアトム・ジェット・シンとインドコーチのラグビンダル・シン。そして生徒二人のマンデイドゥ(男の子)とギレン(女の子)。21時過ぎに到着(日本との時差は3時間)し、あたりは真っ暗、しかし砂埃が舞、白みがかっていた(チョト幻想的)。ここでラグビンタルに英語で話し掛けられる、「アーユースピークイングリシュ?」(インドでは英国統治時代があり英語をしゃべれる人も多い)。「ア リトル」で会話終了。自分の語学力に少しブルーになる。
専用のバスに乗り込み、外の風景を眺めてたら、素晴らしいと思ったのは高山さん。果敢にインドの子二人にガイド本片手に話し掛けてる。正直、引っ込み思案なところがある私もこれじゃ駄目だと思い参戦。「ナマステ」(オハヨウからコンバンワ、サヨナラまでこの一言で可)の仕方をならう。言いながら合掌するのである。名前もこの時に教えあう。順調なすべりだしであった。
ホテル「グランドハイアット」に着くと、その豪華さには大興奮。日本でも泊まったことがないクラスでの初夜に、酔いしれる。そしてここから始まったカレー生活もバイキング形式であったため自分の好みで選んだこともあり大満足の出だし。インドっていいな。

10/25

デリーにて
朝の食事にも満足し(しかし卵の黄身が白いのには驚いた)、バスにて出発。ここで私は愕然とする。昨晩は話に夢中になり外の景色を見ていなかったのだが、ホテルをでてすぐに、道の両脇にはホームレスの人たち(家族単位で)の生活の多さに驚いたのである。アトムの話ではデリーの祭りのために郊外へ追いやられたとのこと。昨日からの生活に罪悪感をおぼえるほどであった。どうやって生活してるんだろう?と、すぐそこに死があるのだろうか?と考えさせられる。これがインドに残る、認められた身分差別のカースト制度の表れなのだろう。しかし、よく見るとその中で無邪気に遊びまわる子供たち。大人たちも決して死んだ目はしていなっかった。笑顔だって見受けられた。
後にアトムに聞いて納得した話だが、宗教によって作られたカースト制度も、次に生まれ変われば今度は身分の高い者に生まれ変わることができる。だから決して一生のものではなく、その永遠の連鎖の中一部しかないので、それを受け入れていつでも今を力強く生きることができるとのこと、それも宗教のなせるものだとのことであった。私ならその中の暮らしになったときに果たしてどうなってしまうだろうか、日本に何不自由なく育ち、そして柔道という自分の力を認められることにより今自分がある。その世界の明らかに正反対の生活がそこにはあった。そこで今の彼らのように来世を期待して今を強く生きることはできないだろう。しかし与えられた現在の自分にもっと強く生きていこうという決心を学ぶことはできた。

サルダールパテールスクールにて

いよいよインドでの柔道披露。ここは日本で言う小学生から高校にあたるもので、体育館の舞台にマットを敷いてのデモンストレーション。なにせ初めてのこと、みんなで考えた段取りは次のとおり。まず一人ずつ増えていく前回り受身。堺・河辺・福田・宗・前田・が無難に跳びいよいよメインは高山選手の5人跳びを残すのみ。会場の子供たちもその期待から手拍子が始まった。そして高山選手が跳ぶ・・・と思ったら5人の上を走り抜けた。ここまでは打ち合わせどおり、心をつかむためのお約束。しかし高山選手はその上を行きなんと最後尾の私を踏み台にジャンプ一番前回り受身のはずが回れずに頭からダイブ。受身の素晴らしさではなく体の丈夫さをアピールし大爆笑を得たのであった。そして次は投げの形。しかしこれは悲惨。スピード感がないのが駄目なのか最初の浮き落としや肩車は拍手をもらうもその後はシラケムード。これでは駄目だと普通に投げ込み、早投げ込み。これで盛り返して試合形式のデモに高山さんまたまた登場。あの愛くるしい(?)体系から繰り出される技になぜか笑い声のまざるところとなった。そして最後は地元の小学生の子と試合。私が相手をしたのだが、面白おかしく引き回した後に最後は背負い投げで投げられた。やはり小さいものが大きなものを投げるという柔道の醍醐味は世界共通で、みんな歓喜の声をあげていた。これは成功でしょうとみんなで満足。これを期に柔道をしたいと思う子がいてくれれば本当に成功といえるでしょう。

いざアムリトサルへ

アトム曰く日本の新幹線並(?)の豪華さを誇る列車で6時間の旅。しかしその豪華さはサービスの凄さからきていたのだ・・・。ミネラルウオーター1リットルから始まり、ビスケット、コーヒー、ゆで卵入りチキンカレー、サラダ、ナン、オレンジジュ―ス、ヨーグルト、アイス、etc。とにかくこの旅で出された食べ物は自分の分は全部食べるという意気込みで臨んでいたためサラダ以外は完食。今思えばこれが後の惨劇の始まりだったのだろう・・・お腹の。


アムリトサルの四つ星ホテル
 とにかく到着、お出迎えに子供たちがたくさん。花輪を架けてもらい感動に浸るまもなくホテル「モハンインターナショナル」へ。さすがにハイアットほどではないが、特に問題なし・・・お湯さえきちんと出てくれれば・・・。

10/26

S先輩恐るべし
警察官の子供たちが通う学校内に道場があるのだが、到着すぐに校長に挨拶しようとしばらく待ちぼうけ。日本人が珍しいのかすぐに子供たちに囲まれる。みんな記念写真や挨拶を交わすも、隣にいたSo先輩笑顔で握手していたが「お前ウザイ」「おーお前が頑張れよ」「ナン見よんか」もう文句言いたい放題・・・笑顔で・・・。

オープニングセレモニー

いよいよ道場へ、歓迎をうけてあがる。今回の合宿参加はインドより地元パンジャブ・デリー・マニプリ・スリランカ・タイの5チーム総勢約60名。とりあえずデモンストレーションを、ということになったのだが・・・。投げの形から手始めにって・・・ここの畳はコンクリートの上に畳が引いてあるだけ。受けをする私はどうなるの? そこへまず準備運動で渡邊さんが一人横受身・・・その痛さだけで「俺はやらん」て・・・俺は? しかしそこは若輩者の辛さで決行。一技一技骨がきしむし皮膚には激痛(この後足全体がうっ血したのはいうまでもない)。前回行ったデモとほぼ同じ内容。まあ子供たちは経験者のためなるほどといった具合で観戦していた。
 
緊張感のあった警備兵
 ここでひとつ違ったのが三浦先生からの申し出でインド人生徒の5人抜き戦。まあこれも下端の役目ということで私。これは指導していく上でやり易くするよう実力の違いをわからせため、あくまでも本気でということだったので、大人気なくやらせてもらいました。とりあえずいろんな技でということで、内股・体落とし・大外・足払い・大内刈りで仕留めてみたが、レベル的には、まあ日本では中学生の中ぐらいであろうとのところであった。でも一人を頭から落としてしまい脳震盪をおこさせてしまった。三浦先生は受身ができてないからだと指導。私の未熟さもあったと思うがいい教訓になったもよう
 ランチレストランにてカレー、ナンにつけて全部食べるも完食できるのはここまでであった。
中には女学生がいっぱい。インド人綺麗な娘が多い。目があうと微笑んでくれた。

午後練習
まずは基本をと打ち込みをさせるもバラバラ。乱取りさせるも、がちがちの力任せ。これではいけないと、日本人みんなからアドバイス。
・ 基本(打ち込みの入り方・投げのきめ・寝技の形・柔道着の持つ位置・姿勢)を大事に
・ 今回の合宿で欲張らずにひとつの技を磨くこと
・ 習ったことは継続すること、
・ 投げられるのを恐れない
・ ひとつひとつを考えて行うこと
・ いつでもイメージを持つこと
ここで考えたことだが、私はどうやって打ち込みを覚えたのか覚えていない。日本では小学生でも打ち込みの基本である同じ場所・同じ形にはいるということはできている。そうやはり町道場においても見本となる者がいるから自然に覚えることができることなのであろう。しかしここには見せてやれる者がいない。これではまだまだ柔道の発展には時間がかかりそうだ。この限られた時間では難しい思ってしまった。そして基本からの指導は難しい。

またまたカレーのデイナー

やばいとうとうカレーを体が受け付けなくなってきた。スパイスのせいか食欲なく、そして腹が下ってきた。情けない。

10/27

朝からカースト
朝練習のためバスに乗り込むといきなり隣で自転車(少年)とバイク(女性20代)が接触。すると女性が立ち上がり少年の頭を平手打ち(何度も)。少年は謝るばかり・・・日本じゃあり得ない。恐るべしインド女性 

朝練習

打ち込み中心に日本人は回りでチェック・指導。そして基本の押さえ込みの形。
ゴールデンテンプルにて・・・沐浴
シーク教寺院総本山。その名のとおり建物がすべてゴールド。恐れ入りました。みんないたるところで瞑想するぐらい信者は熱狂的。アトム沐浴。負けじと私もパンツ一丁で沐浴(強制)。病気が治るとか、高山さん入ればよかったのにそのまま落ちてゆく・・・。

シーク教の聖地 ゴールデンテンプルにて

午後練 堺が行く

ここで堺さんによる寝技の入り方を伝授。「堺A」・「堺B」。寝技にはいるまでの流れに技の名前がないため付けられた。(その他に「宗A」・「宗B」もあるそうだが2年前に教えた技のため宗さん本人どんな技か覚えてない。)ここで何人かには「前田スペシャル」伝授。
ついでに押さえ込まれてからの逃げ方も個別で教えてみたが、言葉が通じず理解してもらえたか?しかし教えている途中に「俺の押さえ込みを逃げてみろ」から「2人で押さえ込むから逃げてみて」との申し出になっていき、逃げて見せると次は三人・・・と調子に乗る始末。お前ら違うだろ・・・。打ち込みでもそうだったがインド人は自分の力を誇示したがるようだ。「俺を見てくれ」と。しかも「どこが悪い」ではなく「できているだろ」を見せたがる。「褒めて伸ばす」はできそうにない。

スリランカチームと会食

スリランカチーム(女性のみ)は合宿では非常に大人しい。あまり感情を顔に出さない。しかし、川辺さんの果敢な話しで「俺と付き合おう」という問いにはっきり「NO」(私はOKをもらいました。明日からの練習は特に熱心に教えることを心に誓う)でした。

10/28

下痢がひどく食事も満足にとれなくなってきた。

朝練

打ち込み。だいぶ形にはなってきたが軸がずれている。自分の中に一本の軸をイメージして打ち込むように言うも、難しいみたいでできず。ここで連絡技を教えてみる。

キルテイアンスクールにて
青空の中ココナッツマットを敷いてのデモと聞き私はもうできないとくじけそうになった。
痛いのは嫌。しかしここでも投げの形は受け役で私。鬼。と思っていたらマットはとても柔らかく私は上機嫌。 そこには1000人はいるのではないかとの人だかりで柔道にというよりは日本人に興味があったみたいだが、デモにはみんな大喜び。そこでは歌や踊りや漫才をみせてくれて出迎えてくれた。本当に感動した。

午後練と国境と
ここまでくるとほぼ全員が体調不良とのことで国境見学。しかし私と宗さんは練習に参加。
打ち込みを見ていてどうも体勢が崩れている。それを理解してもらうには何が良いか。考えた結果、一人打ち込み。これはうまくいった、特に連絡技でも自分でどこがおかしいか分かりやすいし、また回りの子達が忠告しやすい。これを行うことによって、しっかりとした崩しもイメージできたようだ。ここで調子付いて移動打ち込みまで教えることができた。着実と柔道に近づいてきた。


期間中、我々を護衛してくれたパンジャブ州警察


パンジャブ州の警視総監登場
いきなりやってきた警視総監のためにまたまたデモ。痛い。しかし宗さんここで前回り受身の5人跳びに挑戦。やっちゃいました。跳べずに最後尾の子にダイブ。カッコ悪かったっす。それに怒った警視総監は途中退場。ではなく、一緒にきた校長がビビッテ早く帰らせただけであった。複雑です。
マニプルとデリーチームと会食
マニプルの子達は謙虚で真面目。黙々と練習するタイプ。この合宿の中で、一番日本柔道に近いだろう。もっと良い指導者がいればなあ・・・。目があうといつも笑顔みせてくれる気持ちのいい奴らである。デリーの子達は柔道は控えめだが、日常生活は積極的。私が指導してもらったインド語「アープ・カー・ナーム・キャーへー?」あなたのお名前は?
「メーラー・ナーム・前田ヘー」私の名前は前田です。会うたびに言わされていました。そんな奴らから私は「グルージー」と呼ばれていたので、最初はからかわれていると思っていましたが、「導く人」という意味だと聞きうれしく思いました。いい奴らです。
10/29

終日練習
生徒たちみんな打ち込み中心の練習もめげずに行っているが、少し疲れている模様。この合宿は私たちが来る1週間前からやっていたのだそうだ、それでは流石にだれてくるはずだ。そこに基本の打ち込みばかり、集中力もなくなって来ている。そこにきて乱取りの相手をしても覇気がない。実力の差に立ち向かうほどの気力がなくなって来ている。そこで応用を何人かに指導。組み手争いのやり方を少々、切り方や体さばきなどを教える。そこにインドナショナルコーチ登場。何を聞いてくるかと思えば、ロシア系の両襟奥をひじで支点に引きつけ頭を下げられたらどうやって逃げるのか?との質問。それは完璧に押さえこまれてからどうやって逃げる?といっているのと同じ。持たれて固定される前にさばけ、
と一言助言。頭が固い。とにかく組み手の強化に何があるかと考えて、自転車のチューブ
があるか尋ねると、奥のほうからゴソゴソと持ってきた。あるんなら道場に付けて置けと思ったが、使い方がわかるか聞くと知らないとのこと。コーチもっとしっかりしてくれ。とりあえず引き手と釣り手のトレーニング方法を指導。帯やタオルを使ったトレーニングを教えようと思ったところで、時間切れ。時間がもっとほしい。

タイチームと会食
タイは少しみても日本人との違いはわからない女性のみのチーム。親近感があった。それに加え、ポチャリした子がいて宗さんはずっと「ドラミ」や「ジャイコ」と大声で呼んでいた。しかし「ドラえもん」がタイでも放送されていたなんて・・・。会食の場でわかり大爆笑。結局そのまま「ドラミ」で呼ばれていた。「グレイ」や「アムロ」などの日本人歌手も人気だとか、その場で歌えと言われるも歌えるか。とにかく盛り上がる。

10/30

練習最終日
この日は我々の得意技を披露。堺さんは袖つり込み腰とそこから大外。両袖キープの巴投げ。普通できないっしょ。宗さんは押さえ込むまでの宗スペシャル。おや、その技は私が試合で中村佳夫選手にやられた技ではないか。聞くと宗さんが教えてやった技だと判明。もう、よけいなことを。しかしこの技は、いつのまにか押さえ込まれているという技で生徒には大うけ。珍しい物好きばかり。そこで負けじと私も普通でない回し内股を披露する・・・軽く流される。結局外国人にも私の技を伝授することはできなかった。前田柔道繁栄はいつになるのだろう・・・。
最後は生徒たちの技の披露。各人連絡技の崩しもバッチリ、軸も安定してさまになっている。感無量である。ここで今回教えた技をおさらいすると、背負い投げ・体落とし・大外刈り・内股・大内刈り・足払い、これらの普通の打ち込み、連絡技を加えた打ち込み、一人打ち込み、移動打ち込み、袈裟固め、上四方固め、横四方固め、堺A・B、宗スペシャル。結局は基本しか教えられなかったが、それでも日本柔道に導くことはできたと思う。
そして我々一人一人から一言を述べた。私はひとつアドバイス。「柔道ノート」をつくるよう進める。今回の合宿の初めに言えば良かったと後悔したが、書いていた子がいるか挙手させると、一番上達したマニプリチーム3人とタイの子一人とインドは3人ぐらい。それだけ上達の差が出ていたメンバーであったと思う。そのノートにはその日その日の心境も書くよう進める。なるべくプラス思考で書き自分を盛り上げることが大切だと教える。きっと役に立つと思うから。辛いときは勇気をくれる宝物となるのだ。
本当はもっといろいろ教えたかったが時間がない。歯がゆい。

子供たちとの最後の晩餐
子供たちの宿泊施設「ゲストハウス」へ、そこでは合宿で頑張ったものを選び記念品贈呈。コーチは堺コーイチ、選手はマニプリの男の子とドラミちゃん。本当はみんな頑張ったからみんなに贈ってやりたかった。そして各国のみんなから歌と踊りのプレゼント。マニプリの子達は「すき焼きソング」を歌ってくれた。心からありがとう。嬉しさのあまりマニプリチームに柔道着をプレゼント。そしたらコーチが柔道記念館に飾るとのこと。確かに日の丸入りだけど、私はそんなたいそうな選手じゃないのに・・・恥ずかしい。
私はここでインド衣装のパンジャビースーツを貰う。すぐに着込む。そしてインドに浸る。



最終日の打ち上げ 河辺熱唱!
すると、ここで会は終了。少しも子供たちと話してない。ホテルでコーチたちだけで呑むとのこと、え、みんな一緒でいいじゃないか?これでサヨナラは納得いかない。
ホテルにて
しぶしぶ帰って会食。みんな本当に感謝してくれた。けど子供たちに会いたい。

またまた「ゲストハウス」へ
どうしても納得がいかず、宗さんを誘いいざ出陣。まずはタイチームへ。もうみんな寝始めていたが登場に歓喜があがる。寝ていたドラミを添い寝でおこす。そのまま食べられるかと思った・・・。そして足の負傷で動けなくなった(本当はタイチームの女好きのため?)宗さんを置いてインドチームへ。「グルージー」と本当に嬉しそうに迎えてくれた。記念写真を撮りミサンガと腕輪のプレゼントを貰う。片言の英語でたわいもないお喋り。そしてサヨナラ。タイチームに戻ると、さすがに一人は寂しかったのか宗さん。嬉しそうな顔。またまた片言の会話をして、そのままタイチームのなかで就寝。みんなサヨナラ。

10/31

この日はゆっくり起床し市内の店を回る。しかし、買い物できず。残念。

列車にてデリーへ

またまた6時間。そして食事。しかしアムリトサルを出る寂さと残り少ないインド生活を稀有し出たものは食べるの信念を取り戻す。カレーを喰らう。
デリーの再びハイアットへ。ここは素晴らしすぎる。ルームサービスのパスタにみな舌鼓。

11/1

デリーより高速道路(自転車も、人も、そして車の逆走も何でもあり。)をバスにて4時間。「アグラー城」へそこでは「野良猿」と「野良インコ」のお出迎え。それにもまして押し売りの人たちにお出迎え。孔雀の羽のウチワや馬に使う鞭?とにかくすごい。


ヒンドゥー教の寺院にて
アグラー城
赤砂岩で造られた赤い城。広大な景色を眺めることができる。そしてムガール帝国5代皇帝「シャハ・ジャハーン」の幽閉された部屋からジャムナー河の向こうに見る「ダージマハール」は絶景。
11/2

ダージマハール
ムガール帝国5代皇帝シャハ・ジャハーンが妻のために建てた巨大な「墓」。総大理石で建設に2万人の労働者と22年の歳月をついやしたこれぞ「愛の象徴」。世界遺産のひとつでその白さを守るために城までは電気自動車で送迎。排気ガスを出さないためだそうだ。シャハ・ジャハーンは次に黒大理石を建てようとして、アグラー城へ息子から幽閉されたとのこと。

11/3

クトゥブ塔
なんかの勝利の塔。その下になんと世界七不思議に数えられるという1600年も腐食せずに立っているという鉄の棒があった。これが七不思議って・・・。

インド門

凱旋門のパクリ?ではない。第1次世界大戦で死んだ兵士のための慰霊塔。

フマーユーン
「赤ダージマハール」と呼ばれている建物。パクリかと思ったら、こちらが本家本元。これは王妃が皇帝のために建てた「墓」。

ガンジーの墓
骨はここになく「母なるガンジス河」へ流されたとのこと
数々の遺産めぐり。本当にどれも神秘的であった。

11/4

日本へ
旅を終えて

今回の遠征はインドというまだまだ柔道後進国のチームを訪れたわけだが、たくさんの人たちからの歓迎と子供たちからの柔道に対する思いを強く感じることができた。まだまだ指導者不足と環境が整っていないところが多々あるが、柔道が楽しいと感じる気持ちは一緒であった。そこに微力ではあるが日本柔道というものを伝えることができたのではないだろうか。日本人は形を大事にする。だから打ち込みを大事にする。海外の選手で打ち込みの綺麗な選手は見たことがない。野球もしかり、他のスポーツも、まずはフォームの徹底から日本人は入る。そこに美学があるからである。実際、特殊といわれている私も技の切れを追及したい日本人の一人だ。しかしそうでなくても強い海外選手はたくさんいる。切れよりも豪快さで魅了するところも多々ある。そして型にはまらない新しい技もそこから生まれていることだって確かである。今回の合宿でも左右の技を駆使する者もいた。しかし今回の合宿ではそれを禁止した。私から言えばこれは明らかに長所である、個性であった。形から入る私たちでは一定のレベルにならないと、それは見られない。私だって柔道を始めたときは右組だった。左組に徹底されることにより右の技を掛けられなくなってしまった。それが現在のわたしの柔道に良かったのか悪かったのかはわからない。しかし彼らは日本人にはない物をもっているのは確かだ。だから今回私たちの蒔いた日本柔道の種がそのまま成長するとは思っていない。させてはいけないと私は思う。そこから日本柔道と融合した新しい柔道スタイルが生まれてくるはず。そんな期待をもってならない。そのまず第一歩に少なからず私は立ち会えたのではないだろうか。今回このたびに参加させてもらったことに本当感謝している。また今度このような機会があれば迷わず参加していくだろう。柔道というひとつの道をこれからもみんなで進んでいきたい、そう考えさせてくれた貴重な旅でした。

以 上