九州電力柔道部インド遠征記 3 |
やられた・・・。
インドでやられた・・・。
え, 何をやられたかって?
まっ,ここに書いた旅行日記を読んで戴ければ,きっと判ると思います。
それでは,はじまり,はじまり
てっちゃんのインド柔道旅行日記
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福岡東営業所
営業課
高山 哲也 |
10月24日 |
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朝,6:00出発,かなり眠い。
福岡空港から一度成田へ,乗り継ぎの待ち時間が,なんと5時間(マジで。)ま,それにもめげず,インドへ向けて,心躍らせる我ら九電柔道部軍団。インドへ向かう意気込みなどを,ビデオに収め,飛行機に乗り込むと一路インドへ,いざ出発。
までは良かったのであるが,飛行機の中はインド人だらけ,お香や香水などインド人のニオイで溢れかえっている。しばらくして,私がヒンディー語の会話本を読んでいると,二人のインド人男性が話し掛けてきた,私は覚えたての言葉でにこやかに返事をした「ナマステー」会話はそこで終わった。
インドに着くと,三浦先生とコーチそして生徒である子供が二人出迎えてくれた。バスに乗ると私は,二人の生徒マンディーブ(17才 男)とギーレン(16才 女)に会話本を見せ言葉を教えてもらった。それが数時間経った今でも私の頭に残っているかは,さだかではないが。
ホテルハイアットは,すばらしい,ゴージャスの一言である。夕食はバイキング(ほとんどカレー)かなりおいしい(サフランや香草入りを除けば)太るかも(デブ!)。
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10月25日 |
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ナマステー,朝食はgood。
パンは美味いし目玉焼きはあるし(インドの卵って黄身が白いんですよ,奥さん)でもメインはカレー。(すでに,いやになってきた)
バスで外に出ると,ホテルのゴージャスな世界とは一転して路上生活者と野良牛で溢れかえっていた。大通りでは,青い綺麗なサリーを着て母親に手を引かれ信号が変わるのを待つ子供の50m先には,新聞を抱えた裸足の少年が路上に座っていた。胸が痛くなった。(カースト制の真実を垣間見たような気がした)
日本大使館での挨拶を済ませ,近くのパブリックスクールでデモンストレーションを行った。(なかなかうけた。ウフ)(初めてサインをねだられた。優越感)
昼食はデリー一の中華料理店との事。味のほうは・・・。(中華風インド料理)
(トイレに入ってびっくり,小便器が高い。足の短い私は,用を足した後モノを振ると,ペタペタと便器に当たりそうである。)
役所で青少年教育局長と面談,英語とヒンディー語が飛び交いさっぱり分からない。ただ,コップで出された水は怖かったので飲まなかった。 |

スリランカのコーチ・子供達と |
ニューデリー駅へ向かう町並みは,まさに「インド」のイメージそのものであった,建ち並ぶ商店,犇めき合う屋台,ごったがえす人々,道路には車・バス・自転車・野良牛が交差しクラクションの音がけたたましく響いていた。
ニューデリー駅〜アムリトサル駅へ日本でいう新幹線に乗って行くと言う。(ガイドのアトム談)電車に乗ってみると,「うそ」と思わず言ってしまいそうな雰囲気,革張りのレトロな座席・外の景色があまり分らないような窓・扉に至っては手動であり,走り出しても一時の間は開いたままだ,何故かと見ていると,走りこんで飛び乗ってくる人がいる(おいおい本気かよ) |
席に座っていると,スナック・ジュース・ミネラルウォーターが次々と運ばれて来る。少し経つと今度は夕食が運ばれて来た,メニューは{チキンとエッグのカレー・豆のカレー・ライス・薄いナンのような物}インドに来て2日目だが,ライスが一番口に合わないような気がする。
途中,時速100qで走行中扉を開けて,身を乗り出したりしながら涼んでいると,一人の老婆が
開いている扉に近づいていく,(まさか身投げ???)しかし,老婆はしばらく空を眺めると,席へ戻って行った。インド人のコーチに何をしていたのか尋ねると「今日は,夫の長寿を願って女性たちが断食をする御祭りの日だと言う,この日女性たちは食事が取れないかわりに,月を見て食事の代りにするのだと言う。」この話を聞いた時,あまりのロマンチックさに胸がいっばいになると同時に,日本ではもうなくなったものに触れたような気がした。私の感動は休まる事を知らず,駅では花の首飾り・フラワーシャワーで,子供たちが笑顔で迎えてくれた。(ありがとう??)
ホテルへ着くと,入口の上に大きな★が四つ輝いていたが,初日がハイアットだっただけにボロく感じた。アムリトサルでは,1・2のホテルらしいがお湯が出ない,ようやく出たのは10分後の事だった。これからの滞在に抹の不安を憶えながら就寝。(いよいよ,明日から本番である。しっかりやるぞ!)
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10月26日 |
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今日は合宿初日,張り切って練習場がある,警察経営のパブリックスクール(小学生〜高校一年生が学ぶ)へ到着。校内ではバスケットボール(結構,盛んらしい)の試合が行われており,非常に盛り上がっていた。校舎内に通されたのち校長先生に挨拶をするということでロビーで待たされた。日本人は,そうとう珍しいらしく,子供達ばかりか大人までもがじろじろとこちらを観察している。(見世物じゃねえぞ。)勇気をだして,一人の子供が話しかけて来た。それを見た他の子供達が,次から次へと群がってくる。(宇宙人になった気分である)みんなビデオカメラに興味津々,私は子供達と写真を撮ると,女の子からキャンディーを貰った。(ストロベリーミルク味)やさしいのねー。(インドの子供達は,みんな顔が良くスタイルもいい,なんといっても足が長い,私の場合・・・)
さんざん待たされたあげく,校長先生には会えず仕方なく道場へ,道場ではまたも子供達からの首飾りとフラワーシャワーの大歓迎。喜びと同時にやる気が湧いてくる。
今回の合宿には,インドからデリー,アムリトサル,シムラー,マニプルの4都市に併せ,タイ,スリランカ,そして日本と全7チーム(7ヶ国語)が集まり行われる事となった。 まず,簡単な自己紹介を済ませ,私と前田君で形の披露。しかーし,畳が硬い!コンクリートの上に直接敷いてある(ベリーベリーハード)たまりません。前田君も終始小声で「痛い,痛い」と呟いていた。
続いて技の講習,宗さんの大外,福田さんの体落し,私の背負い,説明をしながら改めて人に教える難しさを痛感。自分が自分の技に対して,しっかりとした≪理論≫持っておかないといけない。 「反省」
三浦さんも,とても嬉しそうで,あれも教えてくれ,これも教えくれと言った感じで結局,終わったのは14時(腹へった。)
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昼食はファミリーレストランのような所で,かわいい女子大生のグループを見ながらのカレー
大皿の中にはナンと小さな容器に分けられたカレー(チーズのカレー・豆のカレー・野菜カレー・ヨーグルトが入っていた)ナンとチーズのカレーは最高に美味しかった。(私はナンを3枚食べてしまった。しかし,記録は福田さんの5枚(食べ過ぎである))
ホテルにて,しばし休憩。
夕方の練習は16時30分からだったので道場に行くと誰も来ていない,ガイドのアトム言った「これが,インド時間よ!」おいおい。
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子供達はビデオカメラに興味津々 |
全員集まったところで,受け身からやらせて見たが,きれいに出来るのは4人程度,後はメチャクチャ,何度となく教えたが,みんな,速く回転することしか考えておらず,なかなか上達しない。打ち込みについても同じであり,速く速くとスピード重視になり,技自体はバラバラである,もちろん指導者がいないという事も要因であるだろうが。
私達は,今回の指導のなかで「一番大事なことは基本である。」と言い続けていくつもりである。私も,「ゆっくりでいいから一本一本を確実に打ち込め」と言って行くつもりである。
ただし,彼らから学ぶところも多い,彼らの好奇心・向上心・素直さには,関心させられる。
みんな「自分の技を見てくれ」といった感じで,引っ張りだこである。私が教えている,マニプルの子供達は,目を見張るものがある。男の子二人はかなりのレベルに達している,聞けば彼らは合宿生活をし,一日5時間練習しているという。 すごい。
中でも私が注目しているのが,柔道を初めて5ヵ月という女の子がいる,力がある上,素直で吸収が早い,なかなか面白い存在である。
練習が終わり,彼らが挨拶に来たかと思うと,私の足を触ってくる,「なんだこいつ等は」と思ったが,意味を聞くと,目上の人,尊敬する人,先生には,敬意を表しそうするのだという。
明日の練習も,何が起こるか非常に楽しみである。
今日の夕食はカレー(結構,飽きてきた。)夕食後,ガイドのアトムの部屋にて,みんなで飲んでバカ話に華を咲かせた。(そして,にぎやかに夜は更けていった。)
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10月27日 |
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今日は,夜中から下痢がひどく,3回も起きてしまった。
道場に行っても,我慢できずにトイレを聞くと,ドアが閉らず,電気もない,便座はペンキだらけ,おまけに,最後は水が流れない,バケツに水を汲んで流す有様。(情けない)
なんとか午前中を乗り切った。
昼から観光,シーク教の寺院(聖地)であるゴールデンテンプルでは,頭に布を巻き,裸足になって中に入らなければならなかった。中ではその広さ,またその美しさに圧倒。パンツ一枚になり,寺院内の池で沐浴している人も多く,我らの代表として,前田君が入る事になった。思えばこのあたりから,私の腹部は波打っていた,まだ半分も来ていない,トイレを聞くが寺院内には無いとの事,体全体から冷たい汗が流れてくる。ゆっくりと進む列のなかで,説明の声は聞こえず,歩くこともままならない,ようやく外に出てトイレへ一目散。が,なんと,電気がつかない
扉を閉めると真っ暗闇である。(もうどうにでもして)和式タイプの便器に暗闇であるため,的を得ているのかどうかさえ分らない。(日本から持参のトイレットペーパー大活躍)
結局,昼食も取らず,午後の練習も休み,夕食もレストランへは行かず,日本から持参したインスタントのごはんと梅干を食べた。情けなさと腹の痛みとごはんのうまさで泣けてきそうになった。
インド最悪。
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10月28日 |
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一夜明け腹の痛みも大分良くなった。(下痢はまだまだ最高潮)
7:00より練習,背負い,袖釣り込み腰を教えるが,なんだか形が悪い,マニプルの男の子が一人良い動きをしている,足取りや肩車などの技が多くもったいない。足技と背負い,体落しを重点的に掛けるよう指導,マニプルの女の子は,いいパワーを持っているが,乱取りとなると腰を引いてしまっている,彼女には,姿勢を正しくすることを,まず教えていこうと思う。
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キルティアンスクールでの歓迎 |
昼からは,アムリトサル近郊の学校へ行き,セレモニーがあった。(この学校の校長は,三浦さんの道場のコーチである,ラグヴィンダル・シンのお姉さんで,柔道に興味を持っているとのこと。)形・飛込み受身・投げ込みを行い,私と河辺さんで試合形式のデモンストレーションをやったとき,たまたま客席に突っ込んだら非常にうけたため,調子に乗ってやっていたら,河辺さんが膝を怪我してしまった。(すみません。)
インドの人達の歓迎の踊りなどもあり,大変面白かったが,一番面白かったのは,河辺さんの
「君が代」斉唱。(最高)
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夕方は,数人の体調が悪いという事も有り,(私が一番)宗さんと前田君は練習へ,残りは,パキスタンとの国境見学に行った。国境に近づくにつれ,薮の中に戦車などが隠してあり,そのものものしさにちょっと震えた。
門兵交代のセレモニーでは,大きな動きをする度に,両国の見物人から歓声が起こり,まさに国同士の意地の張り合いといった感じである。(この時すでに,トイレットペーパー必ず持ち歩く生活になっている。)
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10月29日 |
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7:00より練習。
大内刈り・足払いといった足技を中心に教えるが,全体的に足技が下手である,というより,足技をしようとしない,我々全員,足技の大切さを教えようと必死である。
福田さんの足払いについては,まさに芸術的,受けをした私も本気で宙を舞っていた。足を払うタイミング,手の使い方,自分自身,学ぶ所が多く一所懸命であった。
みんなが,いろいろな技をやりたがっている中で,「自分の基本となる技を一つだけこの合宿のなかでマスターしろ」と激を飛ばす。
10:30〜観光
ヒンドゥー教の寺院を見た後,馬車に乗り町のなかを観光,途中,馬車同士がぶつかるなどのハプニングもあり珍道中であった。
昼食はピザ,ハンバーガー(キュウリとトマトはどけて),フライドポテト,コロッケ(カレー味),トマトスープ,なかでもミネラルウォーターがおいしかった。
午後の練習は,コンビネーションテクニックとして,連続技の練習,はっきり言ってぐちゃぐちゃ,はじめから後の大技のことばかり考えて,足技がおろそかになっている。
マニプルとスリランカの子供達はなんなん出来ているが,インドは国民性なのか,見ていないと何もしない,そのくせ近くを通ると「どうだ,,見てくれ」と言わんばかりに始める,おまけに,技を掛けているときもこっちを見ている。(ちゃんと見てるからさっさとしろ)
夕食はタイの生徒とデリーの生徒が来た,話の流れから私は,ドラえもんにされたが,タイの子達はみんなノリがよく,とてもかわいい,宗さんもかなり気に入ってる様である。
みんなで記念撮影をしお別れ。
明日は練習最終日,頑張るぞ。
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10月30日 |
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今日は合宿最後の練習,今までの復習と我々の持ち技を披露,今までで今日が一番みんなの目が輝いている気がする。(みんな,かぶりつき)
しかし,みんな今回の合宿はほんとに良く頑張ったと思う,多かれ少なかれみんなそれぞれに,進歩がみられた。
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練習終了後,マニプルの生徒が,私の両足首を握り礼をとっていた,その後も,私の柔道着を畳んでくれたり,バスまで見送ってくれた,彼らを抱きしめたとき,熱いものが込上げて来たのを今でもはっきり憶えている。
夜は生徒達が泊まっているゲストハウスでのセレモニー,各国のみんなが歌や踊りを披露,
一番ちっちゃなインドの子供「サニー」のダンスはかわいくて最高,昼間の練習は頭が痛いと休んでいたインドの生徒もノリノリで歌っていた。我々もお返しとばかりに全員で「乾杯」
熱唱。拍手喝采。雨あられ。
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印パ国境でのセレモニー |
みんなとの別れを惜しみつつホテルへ帰り,今度は,コーチ陣との晩餐。
やっと出番がきました,河辺さん,我らが宴会部長,ギター片手に大熱唱。堺さんは,スリランカのコーチに是非,教えに来てほしいと,依頼を受けていた(堺さん,頑張ってください。)
その後,宗さんと前田君は,またゲストハウスへ夜這いへ,いやいや遊びへ行ってしまった。
明日5:15の電車で福田さんが帰ってしまいます。(さみしい)
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10月31日 |
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昼からアムリトサルの町を観光,私と河辺さんは,腕に絵を書いてもらった。(タトゥーではありません)
17:00の電車でデリーへ向かう,ついにアムリトサルを離れる,少し寂しい気持ちなった。
電車の中では,相変わらず次から次へと食事が運ばれてくるが,何も手につかない。(もうーいや)
デリーへ到着。ハイアット最高。ばんざぁーい。
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11月1日 |
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バスで一路アグラーへ(4時間半の道のり)
ガイドのアトムの話では,インドの高速道路を走るとのこと,とくに関心も持たず聞いていたが,高速に乗ってびっくり,自転車が走っていた,人が歩いていた,そして牛が横断していた。
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コーチ MVPの堺に三浦さんから記念品 |
なによりびっくりしたのが,正面から車が走ってきた,逆走である。(ウッソー)
聞けば,インドでは日常的なことであるという。よく事故が起こらないものだ。
途中,昼食に寄ったのはなんと,「マクドナルド」もう感激,フィレオフィッシュバーガーを注文,もう最高。前田君が注文したチキンバーガーはスパイシーだったみたい(インド仕様)
そんなこんなでアグラー城へ到着,バスを降りるとすぐさま物売りが寄ってくる。(うるさい)
物売りを掻き分けると,どこまでも高く,どこまでも広がる城壁。城に入る前から圧巻。
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城に入ると,美しい庭,城内外に施された彫刻,戦争によって奪われてしまったものの僅かに残る宝石の数々,全てのものが美しく,すばらしい。そしてなんといっても,アグラー城から望むタージマハール。(言葉にならず,ただただ写真に収めるだけ。)
〜夜,ホテルでホラー映画を観ていたら,停電,シャレになんないよ。〜
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11月2日 |
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今日は,いよいよタージマハールヘ,タージマハールはお墓であり,その周りを排気ガスなどで,汚すことは禁じられており,途中の駐車場から電気自動車で移動,バスなどもバッテリーカーであり,その馬力に驚いた。
中へ入ると,そのスケールの大きさに絶句。これが,王妃のためだけに造られたお墓だというが,今の時代に生きる私にとっては,創造の出来ない事である。(まだまだお腹は絶不調)
夜はデリーへ戻り,インドの日本人会の皆様に,ご招待を頂いた。三井物産の支社長宅にて,パーティー,日本の米,煮物,寿司,なんと刺身まである。幸せ。
明日は,いよいよ日本に帰国である。
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11月3日 |
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今日は,朝からデリー市内の観光,ヒンドゥー教の寺院,世界遺産等を観て回ったが,続く下痢
食事をまとも取っていないことで,体力の限界,半分はバスの中にいた。
空港へ向かうバスの中,ガイドのアトムが,声を震わせながら最後の挨拶をしていた。「どおも,どおも,どおも」アトムさん,本当にいろいろありがとうごいました。
飛行機の中,やっとカレーから開放され,日本食が食べられると思ったら,隣の客はインド人,彼の機内食は,もちろんカレー。(もう,その匂いは,勘弁してください。)
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さいごに… |
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今回の遠征を振り返って,私,自身すばらしく貴重な体験が出来たと思います。インドという遠い異国の地で,言葉も通じず,生活習慣も違う,4カ国の人間が,7つの言葉を飛び交わしながら, 「柔道」という一つの武道を学び,理解して行く,その空間に自分が参加出来た事は,これから先も,自分の自信に繋がる大きな宝にになると思います。
確かに,素敵な思い出ばかりではありせんでしたが,全部ひっくるめて,インドという国に触れ少しでも理解できたと思います。
日本で暮らす私達が,日常の中で当たり前に送っている生活が,いかにすばらしい事であり,当たり前と思っていることが,いかに重要な事なのか,外に出て少し分ったような気がします。
今回出会った,インド・タイ・スリランカとも,今後これから「柔道」を通じ,体をぶつかり合わせながら,心を通い合わせ,お互いを理解し合えるような関係を続けていきたいと思います。
今回は,インドのすばらしさ,人間のすばらしさに,やられました。
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