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 タイ シアヌソンスクール訪問記
 この夏福岡にやってきたシアヌソンスクールの子供たちに会いにタイに行ってきました。インドの三浦先生とも合流して,パックツアーではなかなか味わえないディープなタイを満喫してきました。
訪タイの経緯
20年来,インドを拠点にアジア各地でボランティアで柔道指導をなさってらっしゃる三浦先生が,この夏,タイのシアヌソンスクールの子供たち5名(ヨンギュット先生引率)を連れて九州にいらっしゃいました。旅の一番の目的は,二年後に国際化を目指す金鷲旗高校柔道大会をタイの子供たちに見せ,参加する日本の高校生たちと練習試合をすること。その前に,7月上旬から,福岡,熊本,鹿児島を回り,各地の高校生たちと柔道を通した交流を図られました。(遠征の模様については,NHKが随行取材し,全国ネットで放映しました。 ⇒ 九州沖縄ドキュメント「柔道じゃっど」)
福岡滞在中は,福大OBの那川先生が館長を務めてらっしゃる振武館柔道場(鳥飼八幡宮境内)に宿をお借りし,私自身も一緒に練習しながら,柔道交流をさせていただきました。そんな経緯から,今回の訪タイにいたったものです。
最近の三浦先生は,もちろんインドがベースですが,商売(民芸雑貨商)の仕入れの関係もあり,タイ,カンボジア,ラオス,ミャンマー,ネパールなど,まさに東南アジアをまたにかけた動きをなさってるようです。
当社柔道部とタイの子供たち
タイの子供たちと言えば,二年前,当社柔道部がインド・アムリトサルにある三浦先生の道場を訪れたときにもアモンタット先生(タイ柔道協会役員)率いるワラカンスクールの子供たちと交流しました。(今回の遠征中,アモンタット先生とは再会できました。)また,その合宿に,最年少(14歳,中学生)で参加していたフォンという子が,現在高校生となり,タイ女子柔道重量級のホープとして活躍しているそうです。ちなみに体重120kgだそうです。ちょうど私の滞在中は,シーゲーム(ミニアジア大会)に向けたナショナルチームの合宿に参加中で,残念ながら再会を果たせませんでした。その他の子たちも,それぞれ大学生,社会人となってそれぞれの道を歩んでいるそうです。
タイという国〜微笑みの国 タイ〜
タイはインドシナ半島の中央に位置する東南アジアの仏教国。面積は日本の約1.4倍。人口は約6,500万人,そのうち首都のバンコクに約1割が在住。
言語はタイ語で,地方に行くと,私のブロークンな英語ではまったく通じませんでした。
観光産業に力を注いでいて,タイを訪れる日本人は年間100万人に上るそうです。また,いろんな国際会議や国際大会の招致にも熱心で,柔道で言えば,バンコク国際大会が毎年開催され,数年後にはユニバーシアードの開催が決定しているそうです。
また,タイは“微笑みの国”とも言われます。滞在中,顔の前に手を合わせ,ちょうどお参りのスタイルで微笑む姿に,頻繁に感心させられました。良くも悪くも,多くの日本人がこの笑顔に騙されているそうな・・・。
タイの食べ物
トムヤムクンを先ず連想されると思いますが,そのとおり。日本からということで気を使っていただいたのか,毎食,食卓に並びました。でも,これが意外に食しやすく,結構いけました。その他も,えび,かになど魚料理が中心で,魚派の私としては大満足でした。三浦先生に連れられ,路地の屋台のラーメンにも挑戦しましたが,これもなかなかのものでした。インドでは,かなり痛い目にあいましたので,食の点に関しては,私の中ではタイの一本勝ち。
でも,よく話を聞けば,トムヤムクン(材料によって微妙に呼び名も変わる。)は味噌汁みたいなもので食卓には頻繁に並ぶものだし,普段は肉類(特に豚)もよく食すとのこと。やはり,気を使ってもらってたかな・・・。
バンコクでの夜
あまりにディープ過ぎて,紙面に残せません。興味のある方には,直接お話します。
チャンタブリへ
バンコクからバスで4時間かけ,旅の目的地であるシアヌソンスクールのあるチャンタブリへ。私が日本で買ったタイのガイドブックには,約400ページの中で1ページしか紹介されてませんでしたが,タイ人にとっては,山あり海ありの最高のリゾート地だそうです。毎年12月には,ジュエリー祭が開催され,世界中から宝石バイヤーが訪れ,また,5月にはドリアン,マンゴスチンなどを中心にしたフルーツ祭りも盛大に開催されるそうです。
首都バンコクとは打って変わって,昼間は中心部を除き,ほとんど人を見ない田舎町といった風情でした。
シアヌソンスクール
町の中心部にあるこの学校には,日本で言う中学生から高校生までの6学年の子供たちが通っています。ひと学年が約700人,全部で約4,000人の公立学校で,勉強のレベルもかなり高いとのこと。ここの学校の特色は,全体の9割を女性が占めていることと(道を挟んだ向かいには,3,500名の男子中心の学校があるそうです。),高校一年時の授業に柔道が必須科目となっていること。
約100畳ほどの柔道場は,総合体育館の1階部分にあり,柱があることを除けば,驚くほど充実した道場でした。
亜熱帯の国ですから,四方が解放され,風が吹けば,気持ちよさそうです。ただし,滞在中はただただ暑いだけでした。
正面には,神棚,その脇には嘉納師範と王様の肖像画が飾られてました。
柔道部員は約80名。大半が女の子で,タイ国内では屈指の強豪校だそうです。
タイの柔道
たった数日の交流で,タイの柔道を語れる訳はありませんが,私なりに・・・。
タイと日本の交流は,大変に歴史が古く,17世紀頃,アユタヤ王朝が隆盛を誇っていた頃には,西欧貿易の拠点として当時のロンドンを凌ぐ活気があり,山田長政に代表されるように日本人町が栄えていました。
その後,先述のとおり,毎年多くの日本人がタイを訪れ,国際柔道大会が毎年開催されています。当然に,過去多くの日本人が柔道指導に訪れており,タイ各地でその成果が綿々と息づいています。よって,そのベースは確固たるものがあるようです。
シアヌソンスクールにおいても,柔道が正課に取り入れられているくらいですから,ベースはありますし,三浦先生の定期的な指導により,かなりのレベルにあると言えます。しかしながら,7月の遠征の際に日本の高校と練習試合を行った結果は散々なものでした。今後,タイの柔道が国際大会で活躍できるようなレベルになるために必要なもの,それは,指導者の育成です。アモンタット先生も,ヨンギュット先生も,三浦先生も同意見でしたが,タイには選手養成機関はあっても,コーチ養成機関がないそうです。よって,せっかく良い指導者が短期的に指
導しても,それが長続きしない。ォローできる人材の育成が喫緊の課題となっています。
ただ,すでにこの部分も良い人材は育ちつつあるようで,訪タイ初日に夕食をご一緒し
た女性はアジア大会で三位に入賞し,大学で柔道を教え,柔道大会もプロデュースしているそうですし,同じくタワチャイという名の青年は,ブラインドマン柔道の指導者として,また国際審判員(コンチネンタル,タイで3人)として昨年のシドニー五輪にも参加したそうです。
柔道を通したタイ人の国民性
二年前,インドを訪れた際には,インド人の積極性に舌を巻いたものです。一概には言えませんが,インドの場合には,いまだカーストが残っていて,柔道こそが自身を高める手段となっており,少しでも他人と違うことを,と皆目が違ってました。彼らはよく言いました。“私にだけ,今年のニューテクニックを教えてくれ。”
タイ人はと言えば,これまた,語るには日が浅すぎますが,しいて言えば,国民性なのか,“おおらか”といった印象です。俺が俺が,というのもなく,悪く言えば積極性がない,と言えるのか?ただ,誤解のないように,柔道に対する姿勢は真摯そのものです。
タイの精霊流し〜“光の祭り”ロイカトゥーンフェスティバル〜
チャンタブリに到着した日は,ちょうどタイで最も美しいお祭りと言われている“ロイカトゥーン”の日でした。“カトゥーン”とは“灯篭”の意味で,蓮の茎を輪切りにしたものに花を飾り,フルーツを乗せ,思い思いに装飾したものにローソクを灯して川に流してました。ちょうど日本で言うお盆の“精霊流し”を派手にしたようなお祭りで,どこからあふれてきたのかと不思議なくらいの人が集まり,願いをこめたロイカトゥーンを川に流しました。この日ばかりは,深夜まで町はにぎわってました。
日本国大使館へ
最終日にバンコクに戻り,三浦先生と大使館に行きました。以前から三浦先生と交流のある柴田広報文化センター長にお会いし,今回の旅の目的,当社と三浦先生との関係などを話させていただきました。
柴田参事官からは,慰労のことばと今後の継続的な交流のお願いがありました。
夢の金鷲旗出場に向けて
冒頭に書いたように金鷲旗高校柔道大会が二年後に国際化される予定です。三浦先生の当面の目標は,タイのシアヌソンスクールの子供たちをこの大会に参加させること。インドではかなわない夢(※)をタイの子たちに賭けて頑張ってあります。
※ インドの道場生は,単一校の生徒ではないため,金鷲旗への出場資格なし
また,来年の3月には,タイの国体が開催されるそうで,先ずはその大会に向け,2月から合宿を行うそうです。大会前には,ぜひ,また日本からも練習相手に来てほしい,と関係者全員から熱望されました。
最後に
4泊5日の短い交流でしたが,大変に内容の濃い遠征となりました。三浦先生のお陰で,本当にいろんな経験,勉強をさせてもらってます。夢を追い求める先生の姿は,いつもながらパワフルで,ついていくのにひと苦労ですが,何と充実感のあることか!
次回は,年明け,今度はチームで訪タイできたら,思います。

2005年11月15日(火)〜19日(土)   渡邊 裕二