イベント

 プ−チン大統領杯争奪国際柔道大会結果報告
<ロシア大統領杯国際柔道大会の振返り>
九州電力株式会社 柔道部
江上 忠孝
 12月16日(月)「突然の中止で・・・」
全柔連からの連絡で、「出国の為の必要なビザが取得できない為、大会自体の出場を中止する可能性がある」との事だった。突然の中止との事で、少し落ち込みましたが、不可抗力なのでしょうがないと自分に言い聞かせて、お世話になっている職場のみんなにも、説明しました。
 12月17日(火)「再起・・・」
再び全柔連からの連絡で、「上村先生(強化部長)が絶対に行って来いと伝令がくだり、再び全柔連事務局が動き出し、午後1番の便で、東京に集合して欲しい」との事だった。
私は、すぐに15時の飛行機で東京(成田空港)へと向かった。
 12月18日(水)「超ーーーー寒い!!零下20度の世界」
18日早朝の東京発→モスクワへと向かった。モスクワ国際空港から国内線の空港まで専用バスにて1時間、待合室で3時間の計4時間、更にモスクワからルストフまで2時間飛行機に揺られて、いざロシアの大地を踏みしめた週間、物凄い寒さが襲っわれた。
鼻の穴、耳の穴、毛穴、すべての穴がいっせいに閉じだし、−20度の世界に圧倒された。
ロシア人の表情は、ほとんど笑わないし、変化が無い。なぜだろう・・・・それは、寒いからなのだ。寒すぎて顔の表面の皮膚が硬直して固まっているのだ。しかし、ロシアは実に寒い。
12月19日(木)「さすが、大統領杯!!」
宿泊する場所は、ロストフ市内でも、一番格式のあるホテルでした。ただし、エレベーターが古くて、たまに閉じ込められたりもするビックリホテルでもあります。(実話:本当に30分ほど閉じ込められました。)そして、次にビックリしたのは、各施設への移動に使ったバスです。
フロントガラスに銃弾の跡があり、チェチェン紛争時に銃撃戦でやられたと現地の通訳が笑いながら説明していました。危険な町ロストフでは、警官や軍隊に守られて試合会場や練習場所に行きました。
常時、日本チームが移動するたびに、数十名の関係者が一緒に移動するといった、
超VIP扱いでした。マジで危険な匂いがします。
 12月20日(金)「試合会場はディスコ状態!!これはK−1かプロレスの会場・・・?」
午前中に練習を終えると、午後から試合会場の視察になっていた。日本選手団が試合会場に到着し、軍隊や警察官に囲まれ厳重警戒のメイン会場へと入った。薄暗い通路を抜けると、そこには、ロシアのスポーツの歴史となるオリンピックの金メダルや選手の名前が刻まれた銅像や柱があり、重々しい気持ちになった。その後、さらに奥へと進むと、赤や黄色や青といったレーザー光線やクラブやディスコなので使うミラーボールやら、とにかく素晴らしい会場が出来上がっていた。「明日この会場で試合ができるのか・・」と思うと気持ちが熱くなった。
 12月21日(土)「感動のフィナーレ、最高!!プ−チン杯〜柔道を通じて国際交流〜」
会場は1万人以上の観客で埋め尽くされ、ロシアの柔道ファンの熱気で会場のボルテージも最高潮になった。開会式では、ロシアの有名女性シンガーや劇団による素晴らしいショータイムがあり、とにかく今まで経験した国際大会とは比べ様が無いほど、素晴らしいものだった。体が震えるほど感動しました。
各国の選手入場時には様々な音楽が鳴り響き・・・・・・「JAPAN!」とアナウンスされ・・・・
会場の拍手と口笛で大フィーバーとなった。おそらく、私以外の試合に出場した選手たちも、同じ言葉を心の中でつぶやいたと思う。・・・・「最高−!!」柔道を通じてこれだけの大勢の人たちが、歓声を挙げて、子供たちが夢を見て、またある人は元気や勇気を取り戻してくれているんだなーと思うと、本物の柔道を見せてあげたいと思った。
試合開始、対オランダ戦、身長2M、体重150KG程の黒人だった。見るからに凶暴そうで、その体から異様な殺気を感じた。試合開始から先鋒の日本選手が絞め落とされ一本負けしてしまうハプニングもあり会場もどよめきが起きていた。その後も中堅・・・副将と勝ちはしたが、スッキリした一本勝ちが無く観衆も苛立ちブーイングが起きる中で、ついに・・・やりました。江上選手!強烈な左の必殺袖釣込腰で開始27秒鮮やか一本勝ち!!観衆も再び盛り上がり、「ジャパンビューティフル柔道!!」と連呼の嵐
私自身も、満足したのか、ロシアの大観衆を前に勝利のポーズを決めた。しかし・・・・勝利の代償は大きかった。左手薬指靭帯損傷。柔道着がつかめないくらいに赤く腫れた指は痛々しかった。続く準決勝戦のロシア戦では、自分の柔道が出来ないまま、畳にめり込み一本負け・・・。

優勝の2文字は夢と消えた・・・・・・・・・。残念。

最後の表彰台で、大勢のテレビカメラが囲まれ、頭上からは紙ふぶきが舞い落ちる中、ロシア国歌が流れ
頭上よりたくさんの紙ふぶきが舞い落ちる。まさにサッカーのワールドカップで最後ブラジルが優勝カップを授与されたシーンみたいに。その後は、ロシアの柔道ファンにサイン攻めと写真攻めに遭い、少しの疲労と3位という結果に悔しさも有った。
そして・・・夢の途中は又一つ幕を閉じた。
 今回の遠征で九電柔道部員及び渡邊さん、それに職場の皆様には大変お世話になりました。皆様のおかげで、こんなにも素晴らしい国際大会に出場することができたと思っています。これからも、柔道を愛して更に飛躍することをお約束して、感謝の言葉とさせていただきます。
来年も、夢を追いかけて、柔道を愛していきます!
「疋田・宮武両先輩の受章をお祝いする会」を開催
〜疋田先輩が勲三等瑞宝章を,宮武先輩が藍綬褒章を受章〜


疋田先輩 宮武先輩
 12月14日(土),ホテルステーションプラザにおいて,標記お祝い会を開催しました。当日は,疋田・宮武両先輩をはじめ,橋田柔道部長,小山柔道部副部長,一ノ宮後援会副会長など関係者四十数名が参加し,終始和やかなムードの中,会は進みました。冒頭,橋田柔道部長がお二人の足跡を披露され,部員有志からの記念品贈呈の後,両先輩から御礼のお言葉がありました。両先輩とも,九州電力柔道部長,九州実業柔道連盟会長,後援会会長を務められ,柔道部の発展には並々ならぬご支援を賜ってまいりました。私達は,今回の受章を心からお喜び申し上げるとともに,誇りとして,先輩方に一歩でも近づけるよう努力してまいりたいとの思いを新たにしました。
柔道部事務局
渡邊 裕二