コラム

 九州電力柔道部インド遠征記 1
〜日印国交樹立50周年記念国際交流合宿に参加して〜
九州電力株式会社 柔道部
渡邊 裕二
 10月24日から11月4日までの12日間,日印国交樹立50周年記念事業の一環として行われた国際交流柔道合宿に,在インド日本国大使からの招聘を受け行ってきました。
1 弊社柔道部とインドとの関係
 今回の事業の主催者の一人である三浦守氏(日印友好協会事務局長)は,18年ほど前に単身インドに渡られて以来,インド各地においてボランティアで柔道指導をなさっており,現在はインド北西部にあるパキスタンとの国境の町パンジャブ州アムリトサルに畳のある道場を設立され,100名程のインド人を指導しておられます。その三浦先生が2年前に初めて,自分の教え子のインド人10名を連れ,日本にいらっしゃいました。遠征の目的のひとつは,三浦先生ご自身もかつて活躍された毎年7月に福岡で開催される金鷲旗大会をインドの子供たちに見せてあげること。その彼らの福岡滞在中に合同練習など交流を持ったのがきっかけとなり,今回の遠征の実現に至りました。

三浦さんの道場にて
2 意外と(!)過ごしやすい10月末のインド
 7月から9月の雨季を挟んで,4月から6月は連日40℃を超える猛暑になるそうですが,我々が滞在した10月末から11月初旬にかけては,気温こそ30℃程度あるものの乾燥しているため,さほど暑さを感じることもなく過ごしやすい気候でした。
3 インドのスポーツ〜国技はクリケット〜
インドは1947年に独立するまで永くイギリスに統治されていました。そのため,人気スポーツにも統治時代の名残が見て取れます。一番の人気スポーツは国技でもあるクリケット。プロリーグがあって,子供たちの人気No.1。毎晩テレビのスポーツチャンネルでクリケットの試合を放送してましたが,最後までルールをさっぱり理解できませんでした。首都デリー滞在中は,学校や公園で子供たちがクリケットに興じる姿を多く見ることができました。
柔道はと言えば,全柔連による派遣指導や三浦先生の熱心な指導により着実に普及しているものの,各種国際大会で活躍するまでには至ってない状況です。滞在初日に表敬訪問したインドスポーツ省の役人の話によると,柔道に限らず競技者支援(ナショナルコーチ制度,報奨金制度や施設)は整いつつあるものの,なかなか指導者と選手が育たないというのが実情のようです。これには,宗教上の問題や経済的な問題(貧富の差など)もあって簡単にはいかないようです。ただ,中国に続き世界第二の人口を抱える大国ですので,近い将来さまざまな競技で表彰台に上がる選手が出てくるであろうことは容易に想像できます。

4 7つの言葉が飛び交う道場

今回の合宿には,インド国内ばかりでなくタイやスリランカからも選手が集まりました。15歳から18歳くらいの男女,中には13歳の女の子もいました。我々を含めて総勢60名程度。100畳の道場ではやや手狭な感もありましたが、連日熱気のある合宿になりました。技の説明などは,主に英語でやるんですが,これを各チームのコーチがそれぞれの言葉に訳して子供たちに説明するといった具合。英語,日本語,ヒンドゥー語(デリーの子しか理解できない。),パンジャビー語(三浦先生の道場の子しか理解できない。),マニプル語(ミャンマー国境の町からバスで四日かけてやってきたインド人の言葉),タイ語,スリランカ語の七ヶ国語が飛び交いました。

ガイドのアトム
 三浦先生がしきりに我々に言ってました。「今回の合宿には,肌の色も言葉も違う人間がひとつの目的のために集まったんです。道場には7つの言葉が飛び交うけれど,柔道はひとつ。柔道がみんなを結び付けたんです。」
柔道はすばらしい。
5 具体的な指導内容
 合宿中の練習は1日2回。朝は6時30分から9時まで,夕方は4時30分から7時まで。滞在中,なかなか時間通りに事が進まない,いわゆる“インド時間”には随分困惑させられましたが,練習開始時間だけは守られました。
練習では,打ち込みや投げ込みなど基礎練習を毎日重点的に行いました。これは三浦先生からのリクエストでもありましたが,参加した子供たちの殆どが柔道をはじめて間もないか,レスリングや重量挙げなど他の競技から転向した選手が多く,また,指導者もいないため我流の変な柔道を身に付けていたからです。初日に少しだけ立ち技の乱取りをやりましたが,投げようとすると投げられまいと腰にしがみつき,受身も満足にできません。技と言えば,変形に組んで,相手をひねりつぶすような技ばかり。コーチに話を聞けば,ここに来る前にロシアのコーチに指導してもらったとか。そういう訳で,折角我々が日本から来て教えるんだから,一本を取れる日本柔道=きれいな柔道をやるための基礎を教えてみよう,と考えました。
三浦さんの道場で投の形を披露する高山選手
打ち込み,投げ込みなどの基礎練習の繰り返しは面白いものではありません。案の定,子供たちではなく,最初は熱心に聴いていた各チームのコーチ陣から「何か新しい技を教えてくれ。」とか「2002年のニューテクニックを教えてくれ。」などというリクエストが出ました。その度に私は「そんなものはない。基本の繰り返しが一番大切なんだ。」と彼らに伝えました。前述のインドスポーツ省の役人の言葉ではありませんが,コーチと呼ばれる人間が柔道の基本を身につけていないため,正しい柔道が普及していかない。先ずは良き指導者を育てることが,この国に正しい柔道を普及させる近道かもしれません。
一方で,子供たちは初日,二日目こそ,やや戸惑った感じも見受けられましたが,そこは元々基礎体力がある上に,こちらが舌を巻くほど熱心に柔道に取り組む彼らのこと,こちらの予想を上回るスピードで上達し,最終日の成果発表の時には,多くの子供たちがきれいな打ち込みを披露するまでに至ってました。中でも,バスで四日かけて合宿に参加していたマニプル(ミャンマー国境の町,顔はまるきり日本人?)の子供たちの上達振りには,われ等一同,驚嘆させられました。近い将来,日本のライバルになるのでは…。
6 パブリックスクールでのデモンストレーション
  今回の遠征中,合宿の合間を縫って,デリーとアムリトサル郊外の学校で柔道のデモンストレーションをやりました。もちろん,柔道場はありませんので,デリーでは体育館に大きなマットを敷いてもらい,アムリトサル郊外では運動場(屋外)に体操用マットを敷き詰めた臨時道場で投の形や打ち込み,投げ込み,乱取りなどを披露しました。初めて柔道を見た子供が大半ですので,こちらも彼らの反応が楽しみでしたが,思った以上に歓声があがりました。

キルティアンスクールの”青空道場”
特に背負い投げや肩車などの大技に対しては,大きな反応がありました。
アムリトサルでのデモの際には,地元の子供たちを場内にあげて,我々を投げさせたり,同行したタイの女の子たちの乱取りを披露したりと,柔道とはこんなものだ,という触りの部分は感じていただけたんではないかと自負しています。デモの後は,お返しに地元の子供たちから延々と歌や踊りの歓迎を受け,校長先生から歓迎のスピーチをいただくなど,最高の形の民間交流ができたと思います。
7 柔道に見られる国民性(私見)
 インド人は,とにかく自己顕示欲の強い国民だと感じました。多くの人種と宗教が輻輳して存在する国の中で,自分のアイデンティティーを保てない人間は埋もれていくしかありません。いかにして自分というものを表に出して(個性を発揮して),ステップアップしていくか,彼らは常にこれを念頭において行動しているようでした。今になって考えれば,彼らが私にこっそり聞いてた「何か変わった技はないか?」とか「スペシャルテクニックを教えてくれ。」とかいう質問も,他人と違う何かを身に付けて,とにかく他人より上に行きたいという彼らの国民性の表れと感じています。没個性世代と言われて久しい我々にとって,彼らの生き方は大いに見習うべきものがありました。
8 インドという国〜カレーと宗教の国〜
 私の中で,インドと言えば,タージマハルとカレー。行ってみてびっくり,まさにそのとおり。遠征に行く前,三浦先生と福岡で酒を酌み交わしながら,「インドに言ったらホテルにばかり泊まるんじゃなくて,インド人の生活に入り込んでみたい。」などと言っていた私。入り込むどころか,一流レストランのカレーしか食べていないにも拘わらず,お腹を壊してしまい,遠征の中盤には,あの独特のマサラ(スパイス)のにおいを嗅いだだけで食欲がなくなり,まったく食べ物を口にできなくなってしまいました。総勢10名の参加者のうち,大半が同じような状態に陥り,大きな口を叩いていた自分が情けなくなりました。最終日にデリーでインド日本人会主催のパーティーにご招待いただき,久々に食べた“がんもどきの煮付け”のうまかったこと。感動ものでした。
 また,合宿の合間に,幾つかインドの観光地にも行って来ました。挙げればきりがありませんが,ひとつはやはりタージマハル,もうひとつはパキスタン国境。前者は言うまでもなく,世界遺産にも登録されたインド最高の観光スポット。今まで,教科書や写真では何度となく見ていましたが,このすばらしさは現地で見ないと分かりません。空のブルーと大理石の白のコントラスト。まさに“壮厳”という言葉がぴったり。

印パ国境に立つ 河辺選手と私

 一方,後者は,国境を持たない我々日本人には理解し難い観光スポット。毎日夕方に行われる国旗降納と衛兵のパレードには,両国とも多くの観光客や国民が訪れ,自国の衛兵の一挙手一投足に大声援を送っていました。その様は,両国が緊張状態にあることを忘れさせてしまうような華やかなセレモニーといった趣。しかしながら,来た道を少し戻ると,照明に照らされ,地の果てまで続いているのではと錯覚する鉄条網の壁,そして路肩に配備された戦車,ほんの数ヶ月前に戦争寸前までいき,今も国交断絶している両国の緊張感の一端を垣間見ることができました。これは貴重な体験でした。
ものの本には,インドの特徴のひとつとして宗教の多様性と宗教の持つ意味が多く取り上げられています。ヒンドゥー教,イスラム教,キリスト教,そして頭にターバンを巻いたシーク教,これ以外にも数え切れないほど多様な宗教がインド国内には存在するそうです。国のあちこちにきれいに飾られた寺院があり,町のあちこちにきれいに飾られた礼拝堂がありました。それぞれの宗教の幾つかの主だった寺院を観光しましたが,創造を絶するきらびやかさに,開いた口がふさがりませんでした。インド人にとっては,自分が信仰する宗教を中心に生活が動いていて,名前も,食事も,服装もそして住むところまでもが宗教によって左右されており,宗教の持つ重みを感じぬわけにはいきませんでした。
9 遠征を振り返って
「シリコンバレーをリードする技術者が翌日ガンジス川で沐浴をする国」〜インドは行ってみないと分からないというのを例えた一節です。
今回の遠征に当たって,私には二つの目的がありました。
@ インドの子供たちに柔道を教えることで,自分の中の柔道を見つめ直すこと。

かれこれ20年近く柔道をやってきました。ここ数年は年1,2回の社内大会に出るのが精一杯という状態。それでも,柔道が好きで,また柔道をやっていたから今のポジションまで引き上げてもらったという思いもあり,現在も深く柔道にかかわっています。今回の遠征で,自分の中にある柔道への思いがどう変化するのか,しないのか。また,今後の私の柔道へのかかわり方のヒントが三浦先生の生き方の中にあるかも知れない。そんな期待をいだきつつ遠征に望みました。
A なるべく深く,懐に飛び込んでインドを知ること。

まず,インドを知ることについて。
前述のとおり,ものの見事にはじき返されました。インド人を知るどころか,食べ物に翻弄されてしまいました。まさに完敗。見るもの,聞くもの,嗅ぐものすべてが新鮮でとてもエキサイティングでしたが,とても12日間くらいではインドは語れそうにありません。機会があれば,三浦先生がいるうちにまた行きたいと思います。
自分の柔道を見つめ直すことについて。
三浦先生がしきりに我々に言ってました。「今回,日本の渡邊さんたちが来たから,こうやって各国の柔道家たちが集まった。日本人が各国をつなぐ接着剤なんです。インド人がやってもこんなことはできない。日本人にはその力があるんです。もっと日本人は自信をもってください。」
ほんの三年前まで,三浦先生の名前すら知らなかった我々が,福岡での交流をきっかけに,三浦先生の活躍に触れ,その後三浦先生が福岡に来るたびに,夢物語のつもりで我々のインド行きを語り合ってました。いろんな障害,紆余曲折はありましたが,各方面の協力を得て,今回インドに行けて本当に良かったと思ってます。インドの子供たちに囲まれ,生き生きとした目で夢を語る三浦先生の姿に,勇気付けられました。
時間と仕事に追われ,ともすれば型にはめられそうになる中で,かろうじて私は柔道を支えにして個性を発揮してきたつもりです。今回の遠征で,この生き方に自身がつきました。何かやれそうな気がしています。
 インド最高。 以 上
   
 九州電力柔道部インド遠征記 2
<平成14年10月24日(木)〜11月4日(月)>
九州電力株式会社 柔道部
宗 真一郎

渡印前に福岡市長を表敬
10/24
 今日(10/24)からインド遠征だ!インドでは,何があるかわからい不思議な国と聞く!今から楽しみだ!
朝6:30福岡空港集合。なかなか早い集合時間である。遠征メンバーが続々集合する中,最後に遅刻して登場したのが河辺さん。(小倉営業所勤務)たくさんの荷物には何故かギターを持参!(本人いわく,旅にはかかせないものとか?)
成田経由でインド出発のため,出国の前,成田に向かう。成田空港では,まずは,お買い物!私の買い物中身は(本,乾電池,ゲーム等)ゲームは高い買い物だったが,今回の長旅を考えればよし!ということでかったのだが…
機内は,満席でインド人ばかり。私の後ろ2組のインド人は,やたら大声で話す。また,子供が機内のどこかで泣く始末。まるで,動物園で動物が騒いでいるかのよう。
成田を出発し約2時間経過。私は既にゲームに没頭中!しかーし,旅1日目にてして事件勃発!なんと,ゲーム開始2時間程でゲーム機が壊れてしまったのだ!(ショック!)「おいおい頼むよ〜○○堂!帰ってすぐ苦情の電話してやる!」とお怒り気味の私。
そんなこんなで,インド(ガンディ空港)到着。(成田からの所要時間9時間30分)
到着が予定より遅れた上に,さらに追い討ちをかけるように,空港で預けた荷物がいくらまっても出てこない。さらには,荷物を仕分けするインド人の効率悪いこと。日本の一般常識では,空港で荷物を受けとるとき,飛行機から荷物を降ろされ,ベルトコンベアで運ばれた自分の私物だけ受けとる光景を思い浮かべると思う。しかし,ここインドでは,ベルトコンベアから運ばれた荷物を,再び荷物仕分人(10名程)でお客さまの荷物を降ろす。こんな仕事人,サービスと言えばそれもありと思うが,日本で考えられない光景だ。このサービスも効率よく進めばいいのだが,私たちが待つ前で,10名程の仕分け人たちが効率悪く作業を進める。「もう少し頭を使えよ!インド人!」と言いたくなるほどだった。そんな中,痺れを切らした我らが堺コーチ。(福岡支店総務部)俺の荷物は俺がとる!といわんばかりに,ベルトコンベアの一番前の場所に陣取り,腕組みし睨みをきかされていた。(たよりになる男だ!)[荷物を受け取るのにかかった時間30分程]
私個人的な意見であるが,インド第一印象=時間がゆっくり流れすぎだよ!
荷物を受取り,出て辺りを見渡すと,三浦先生(インド監督)とその教え子が出迎えに来ていただいていたのだ。とても心温かい出迎えだった。花の首飾り,歓迎の挨拶等。今回の遠征を成功させようと熱いものがこみあげてくる。
 ホテル(グランド・ハイアット)までは30分。さほど遠くはない。ホテルに近づいてくると,ライトアップされたホテルの夜景が見えてくる。さすが5つ星ホテルだ。(辺りの町並みは何もないところにポツンと建っていて,それがより一層引き立てている。)ホテルのチェックイン後,早速食事。(本場インド料理初体験)バイキング形式ではあったが,カレー盛りだくさん。(予想通りのカレー関係)味の方は,辛い+思ったほどまずくない。しかしながら,決して美味いとは思わなかった。
その夜,5つ星ベットにて熟睡。

タイのコーチ、子供達と
10/25
朝,目覚めると,外の日差しは輝きを増し,ホテルをより一層綺麗に映しだしていた。
朝食,やはりここでもカレー。(昨日より食べられる)がしかし,ここで,より一層刺激的だったのが,カレーよりも注文したドリンクであった。ドリンク(オレンジジュース)を注文すると,その色は,赤ともピンクとも言えない色したドリンクが運ばれてきた。「オレンジジュースではないが,まぁいいや!」と思い飲んでみると,その味は,何故かスイカの混ざった味をしたミックスジュース。確かにミックス(オレンジも含まれているとは思うけど)…(インドは朝から強烈だ〜!)

9:30日本大使館に移動。
移動中,首都デリーの町並みは,日本と同じ,朝のラッシュ光景。インドの朝も慌しいみたいだ。そんな中,私たちを和ませてくれるのは,「野良牛」だ。慌しい人間を逆らうように,町の中をのんびり暮らしている。実にインドは面白い。しかし,まぁ,日本で「野良牛」という名詞は効いたことがない。また,インドの町では「野良猫,野良豚,」野良野良だらけ。ホントどんな旅になるのか楽しみだ。(ちなみに,野良象はいないそうだ。(いないゾウ〜))
日本大使館到着。中は初めて入るが,なかなかの迷路みたいになっていて,今回のような機会がない限り入れそうもない。淡々と時間がたち,特に緊張もなく時間が過ぎていった。
11:30デリー市内の学校にて,柔道のデモンストレーション。特に,この企画でおいしいとこ取りだったのが,高山君。(福岡東営業所勤務)インドの子供たちにかなり受けヒーローだった。
その後,中庭でちょっとしたおもてなし。ケーキしか食べられなかったが,その味は,
いけていた!(既にカレーに侵されていた舌なので,感覚が麻痺していたかも?)
また,この場では,地元新聞記者(数社)が話をかけつけ待ち構えていた。その一人の記者が,なんとまぁ〜無理な注文をすること。(一人で投げている姿で,それを飛んでいる瞬間を撮りたいと)説明する私も????なので,想像つかないだろう。(とんでもないインド人だ)しかしながら,悪い気はしない。(調子者の私である)それもそのはず,新聞の一面を飾るというのだから。
嬉しいじゃあーりませんか!前田君!(福岡営業所勤務)この前田君,始めは対応していたのだが,記者にダメだしをくらってしまった。(絵にならないらしい)
昼食 (中華)
今後一週間,カレーまみれの食生活を考えると,この配慮,嬉しいではありませんか。しかしながら,決して美味しくもなく,二日目にして,日本から缶詰をもってこなかったことに後悔をすることになる。(日本食が恋しい〜)
昼食後,店の外にでると,ボロボロになった電柱のトランス等に目がいく。(やはり電力会社社員)今にも停電しそうな雰囲気。(この後,インドで実際,数回ほど停電する)
昼食を食べ終え,私たちが向かった先は,日本でいう文部省。(表敬)ここの担当者は,日本文化に興味津々で会話が弾む。私らは,何かわからない単語が飛び交う中,笑顔だけはかかさなかった。(後,ナマステも)

 デリー〜アムリトサルに移動
移動のため,バスにて駅に移動中。この日,町はお祭りみたいで(主婦の方が,ご自分の夫のために長生きするよう断食をするお祭りだとか)なんとまぁ,凄いお祭りだ。このため,町は凄く渋滞。しかし,そんな中,またもや「野良牛」が悠然と歩いている。この国はどうなっているのだ。
デリー駅へ到着すると,私たちの目を驚かせたのが体重計の多さだ。5m間隔に販売機の格好をし,光り輝く物体があり。この物体,見た目とても体重計とは想像もつかない。インドの人たちは自分の体重や荷物を測るのが好きみたいだ。しかも,お金を払って。(説明あり)日本人には,インド人がどういう神経をしているなのか解読不能。

 今夜の最終目的地(アムリトサル)までの移動時間(6時間30分)
列車の中,いったいどれだけの食べ物(カレー中心)が出てきたのというくらい出てきる。それも寝る暇もなく,30分おきにボーイに起こされ,「もういいよ」って言っても出てくる。(インドでは絶対痩せると思っていたのにこのままだと絶対に太るではないか!)
また,この列車,日本でいう新幹線並のグレードというが,出入り口のドアは手動で開き,インド人は,時速100km以上でているのに,暑いからという意味でドアを開け,空気の入れ替えをするのだ。インド人,何でもなりなのか〜??(頼むよ〜)
「インド人もびっくり」という表現があるが,この表現が作られたのも,ここインドに来て解かる気がしてくる。また,日本人も時々ギャグで(ちょっと古い?)この言葉を使うが,よほどのことがない限り,使ってはいけないような気がしてきた。
終着駅についたのが20時30分。インド出発の成田からの飛行機も遅れ,この列車も30分の遅れ。「疲れた!」と叫びたかったのだが,またまた,疲れを飛ばしてくれたのが,駅での地元子供たちの暖かい笑顔と花びらを撒いての出迎え。(日本人びっくり!)
その後,ホテルに直行し熟睡。
10/26
朝,8:00起床。特に列車での移動の疲れもなく元気に起き,朝食をとる。もしかすると,朝からカレーが出てくると心配していたが,大ハズレ。パン,オムレツ,フルーツ等の普通の食材である。インドにきてまだ2日しかたっていないのだが,日本で出てくる普通の食材が,こちらでは美味しく感じられる,そんな感覚である。(舌の感覚麻痺状態)
11:00バスで練習会場に移動。練習会場は学校内。この学校は警察が造った学校らしく,生徒9割の親は警察官だとか。(国境に近い町で警察官の数も多い)また,テロなどの被害で親がいない子供が4割。日本では,考えられない話だ。
学校へ到着すると,学校行事(バスケットボール大会)で,構内は凄くにぎやかで騒がしい。(インドでも人気のスポーツらしい)私たちは,校長先生にご挨拶ということで,学校の廊下で待機。すると,私たちの顔・姿に物珍しく思った生徒は,始め警戒し近寄らなかったのが,一人の生徒が近寄ってきて話かけると,ものの数分ほどで50人以上の子供が集まる。(よほど日本人が珍しいみたい??)
その後,校長先生が捕まらないということで,練習会場の道場へ移動。道場へ入った瞬間,またもや,首飾り,拍手等での出迎え。(インドショックも多いが,何回目の感激だろう?)会場の第一印象は思ったよりずっと綺麗!

マニプルの子供たちを指導うる河辺選手
 学校へ到着すると,学校行事(バスケットボール大会)で,構内は凄くにぎやかで騒がしい。(インドでも人気のスポーツらしい)私たちは,校長先生にご挨拶ということで,学校の廊下で待機。すると,私たちの顔・姿に物珍しく思った生徒は,始め警戒し近寄らなかったのが,一人の生徒が近寄ってきて話かけると,ものの数分ほどで50人以上の子供が集まる。(よほど日本人が珍しいみたい??)
その後,校長先生が捕まらないということで,練習会場の道場へ移動。道場へ入った瞬間,またもや,首飾り,拍手等での出迎え。(インドショックも多いが,何回目の感激だろう?)会場の第一印象は思ったよりずっと綺麗!
温かい歓迎挨拶の後,今回インドの子供(選抜隊)子供60名程度,4カ国の合宿の始まり。
九電チームの技披露の後,前田選手と子供たち5人で,試合開始。前田選手がものの20秒程度で2人抜いた後,3人目に入り,技(大外刈)で投げたまではよかったが,勢い余って相手は脳震盪を起こす。相手はすぐ立ち上がったがふら付き状態。それもそのはず,畳の下はコンクリート!クッションも効いておらず,かなり痛かっただろう!(前田くん,インドの子供に良い思い出作り?)
午前の練習開始から予定時間を大幅に過ぎ,さらに三浦先生ヒートアップ状態!初めから気合い入りまくり状態。終了したのは,14時過ぎ。(お腹減ったよ。)
その後,町のファミリーレストランみたいなところで昼食。食べたのは,もちろんカレー。(このころ,すでに,スパイスの匂いだけで勘弁してくれ!という人あり)私たちの横のテーブルでは,女子学生集団(8名程度)が,美味しそうにスパゲティを食べている。私たちは,スパゲティを注文してほしかったのだが,「あれは美味しくないから!ここのカレー美味しいから」ということでカレーになったみたい。(スパゲティ食べたかったなぁ〜。カレーはちょっと勘弁してくれ〜状態)
午後の練習16:30開始予定だったため,休憩の時間も余りなく,練習会場にいったのだが,会場は真っ暗で誰も来ておらず,またもやインドタイム!予定時間を過ぎるのは当たり前である。(笑いがでてくる)
その後,10分遅れぐらいで子供たちが到着し,練習開始。
今回合宿に参加しているのは,インド(デリーチーム,マニペリチーム,パンジャブ(地元)チーム,)スリランカチーム,タイチームである。子供たちの柔道は,基本がなっておらず,日本では単純な動作を繰り返し教えることになる。この単純な動作は,日本では嫌がられ子供たちには関心がない。(確かに,日本の子供とインドの子供には柔道のレベル差があり同一年齢に基本を教えても関心の差があるだろう。)しかしながら,ここの子供たちはこんなことを思いさせない意気込みが見えてくる。子供たちは,熱心に,私たちの話に耳を傾け,その目は真剣にそのものであり訴えてくるものがある。私たちも純粋な心に自然と体を動かされ指導にも熱くなる。こんな感じで,昼の練習も予定時間をオーバーし,ハードな一日が過ぎていった。
10/27
6:45ホテル出発。肌寒い朝。
朝の練習の内容は,寝技中心。まずは寝技の押さえ込み方(基本)を指導し,立ち技から寝技移行の大切さを教える。
 10:30朝食を終え,近くのシーク教寺院(ゴールデンテンプル)を見学する。移動手段としてインド人力車に乗り,人と車等で混雑する町中を走りだすと,なかなかのスリルである。ものの10分程度で寺院に到着。寺院に入る際には,髪の毛が見えないようバンダナで髪の毛を隠し,また,裸足にならないといけない。みんな始めての体験で,期待と不安が入り混じる中,一人,無口になり顔色悪い人発見。高山である。涼しいい気温の中,一人真っ青になり冷や汗をたっぷりかいている。それでも高山は,貴重な体験ということで,みんなと一緒に中に入って見学。寺院の中は,そのスケールのでかさに皆感動をしていたが,ただ一人,放心状態の男あり。(お腹クラッシュ状態)
シーク教の総本山”ゴールデンテンプル”で
沐浴する前田選手
 寺院見学からホテルに向い,部屋に戻ってきた高山は,すぐトイレに駆け込むと「間に合わなかったです…」の一言。高山哲也28歳一児のパパ。高山家の大黒柱として孤軍奮闘中。
高山ダウン(トイレに入ったまま出られないため),昼からの練習は不参加。
昼からの練習内容は,朝の復習+堺コーチによる寝技(押さえ込みに入るまで技)の披露(2種類)する。この技を子供たちに教え,反復練習開始。この2種類の教えた技は,基本的に名詞(技名)がないので,子供たちから命名してもらったのが,「堺A」,「堺B」である。それで調子付いた堺コーチ,気合い入りまくり。その勢いが伝わったのか子供たちの呑みこみが早いみたい。(堺A,B技含めて堺こういっちゃんスペシャル!)子供たちもお気に入り!
19:45ホテルに帰り着く。何故か入口では警察官がいっぱい(10名程度)何かあったのではと確認すると,私たちの護衛をするためにきたとか?「おい!おい!ここに来てから2日間たっているけど,護衛とかしていなかったではないか!何で本日から護衛するねん?」と思いや,昨日まで横隣のホテルを護衛していたとか。ほんと,アホな警察官やし,
私たちを護衛するとは,返って不安になるよなぁ〜。
夜の食事は,スリランカチームを招いて,食事会。話はイマイチ通じることがなったが,和気藹々と時間が過ぎていく。(しかしながら,メニューは昨日と一緒の料理。中華。このままの勢いでは中華も嫌いになりそう?)
10/28
インド4日目,そろそろ日誌を書くネタもなくなってくるところだが,ところがどっこい,インドの旅は何があるかわからない。
本日の練習メニュー三部練習。

午前中,7:00から練習開始。(昨日の復習,立ち技等)
何故か解からないが,皆,体にガタがきているみたい。特に河辺さん,体がボロボロになり,練習リタイア。ついでに前田選手,皆に投げ込みられすぎで,体中,青あざだらけ。
そんでもって私,練習不足がたたり,全身筋肉痛。昨日,練習を休んだ高山選手,体調万全ではないが,復活し練習開始。(このころから,高山シャ〜の名前)言うまでもないが,何故だか解かるだろう。
子供たちは朝から元気モリモリ。(三浦先生,ベーシック!ベーシック!なぁ〜で気合入りまくり)←三浦先生の口癖。また,この日から日本人は大なり小なり,下痢みたい。(大丈夫なのは私だけ)

2部の練習。
午前10:45より,バスで田舎の学校に移動し,(約50分)柔道のデモンストレーションと村中の方から,私たちのために歓迎の舞。(歌あり踊りあり)村人の方,その数1500人以上。また,ホントの話であるが,何事か?という感じで野良牛までもかけつけていた。(牛ちゃんびっくり!)(おまけに,ハエも大量発生!)
さらに,各国が歌の披露をしたときの話である。日本選手団代表として我らが河辺選手の歌披露。(ギターを持参しただけはある。)しかしながら,歌ったのは,「君が代」斉唱〜!最高だったよ!
ここインドの地にたどり着き,移動,練習等で体は疲れているが,どれだけの歓迎を受け癒されただろう。この瞬間も皆笑顔が絶えなかった。(インド人素晴らしい)


ターバンを巻く福田選手
 17:00より3部練習開始。(宗,前田のみ。後は国境見学)
練習内容(午前の復習+大内刈+移動打ち込み)
久々の3部練習で私も気合いが入る。また,この練習時間,パンジャブ州の警視総監が
合宿を訪れ,私たちに挨拶をくれた。
やはり,ここでの道場の雰囲気を話さなければなるまい。(私も笑った話である)子供たちは,さっきまで威張っていたインドの大人たちに,警視総監がくるや否やピリピリモードになったので,それをみて笑っているのだ。(まぁ,パンジャブ州で一番の権限者だから,ピリピリモードになるわ!)(決してお腹を壊してのピリピリではない???)
警視総監の出現で,急遽,柔道のデモンストレーション依頼。(聞いてないよ〜)
なんせ,前田と私の2人だけ。なんとか無事こなしたが,この警視総監,無愛想で帰ってしまった。
帰った後,早速,練習再開。(私の元気は空空元気!)そのため,疲れまくり!
21:00より,マニペリチームと地元の子供を招いての夕食。お腹も減っていたが,
このときは食い気よりも眠気!本日,まだまだ書きたいことはあるけれど,この辺でご勘弁を〜〜〜〜(日本シリーズはどうなったのかな???おやすみ〜)
10/29

インドに来て晴ればかり!本日も天気良好!
7:00より練習開始。練習内容(昨日の復習)
子供たちの技のタイミング,入り方など,多少ではあるが上達を目にする。(なかなかいいよ〜)
10:45朝の練習が終わり,町を観光。(ここで交通事件発生)移動手段として馬車に乗ったのだが,交差点で馬車と馬車が激突!馬同士は何もなかったようにしていたのだが,
ベテラン騎手と若手騎手でのいがみ合い。(これが妙に笑った!)
昼,休憩をはさみ,16:30から練習に行こうとしたが,左足に激痛が走る。(かなりの痛さだ!)特に怪我をした覚えがなく,また,悪いことをした覚えがない?(祟り?)
こんな感じで練習に臨んだが,痛みはひかないまま。(やばいよ〜)
今夜の夕食は,タイチームとである。会話が弾み,にぎやかな場となった。なかでも,タイチームの中にドラミちゃん発見。(背格好が抜群に似ている)(また,日本のアニメ「ドラえもん」はタイでも人気のとか。)タイチームに馬鹿うけ!急遽,日本選手団でドラえもんと背格好が似ていると高山しゃ〜とドラえもんブラザーズ結成!(場が盛り上がったよ)

10/30

いよいよ,練習最終日。練習内容(打ち込みポイント復習+子供たちによる技の披露+先生たちによる技の応用編)
合宿一週間の成果が,子供たちの上達をみてすぐわかる。短期間ではあったが,子供たちは自分の柔道に対し自信をつけてくれたのではないか。そんなふうに感じられる。また,子供たちの技の披露が,ここでの最後の指導と感じると,なんだか寂しい。教えることがもっとあったのではないか?また,子供たちはもっといろんなこと教えてもらいたいのではないか?そんな子供の目に見えてくる。
いつの日か,教えるチャンスをいただけるならば,また,この子供たちと出会いたい。さらには,今回であった子供たちが,いつの日か,世界の舞台で戦っているところを,この目で見たいと素直に思う。
今まで,後輩の指導を通じ,指導者の立場を考えさせられたことがある。今回,改めて考えさせられて思ったことは,「教える」って,こんな気持ちにさせるのかな?この意味は,この子供たちの純粋な心が,素直そう思わせたに違いない。私は,今年で柔道歴24年目を迎えている。これまで,恩師,先輩,後輩,同期と,いろんな方に出会い,学び,刺激しあって励んできた。今回インドで出会った人たちも,私の心の1ページに深く刻まれ,一生の宝もの(財産)となることを確信できる。
午後,シーク教(世界一聖杯の池)を見学。しかしながら,左足首の腫れがひどく,激痛が走る。(ホント原因不明)

17:45〜子供たちによる「お別れセレモニー」
各国のダンス,踊りありで,とても楽しい時間だった。特にサニー(今回の合宿生最年少)のダンスは忘れないよ。

20:00〜各国先生との会食。
ここで我らが河辺さんの出番です。わざわざ,日本からギターを持参し,お披露目の機会がなかったものだから,ここぞ!と言わんばかりに,張り切って演奏していた。おかげで場は盛り上がる。また,アトム(今回の遠征のガイド)も日本語で「福田さんにささげる歌」と題して熱唱していた。(大爆笑!)
今回の合宿は,短期間であったため,子供一人一人に行き届いた指導が出来たかは,疑問に思う。総評するのは子供たちで,我々にその権利はない。この成果は,今回,私たちが指導したものを,各国に帰り継続することで,ここでの合宿成果が問われるのではないか。そんなふうに思えてくる。
私たちは,ほんのちょっとのきっかけに過ぎない。しかしながら,インドの先生や子供たちの笑顔を見ていると,

マクドナルド発見!
今回企画の合宿が「成功に終わった」ものだと確信できる。(有り難う!)
11:00〜子供たちの宿泊先ゲストハウスに侵入。(移動は人力車で15分)
人力車運賃の交渉開始(はじめ〜!)。我々は,10ルピーしか払わないと言う(柔道でいう一本を狙いにいく)が,インド人は50ルピーでどうだ(技ありで狙い!)。初めは両者譲らずも,5分程度の話し合いの結果,インド人が折れる。(一本負け)(ここでいっとくが,我々の交渉の目的は,お金の問題ではなく,話のやり取りである。値切るのは実に面白い。別に関西人ではないよ!) 
夜の町を人力車でスイスイ行っていたが,5分程度で,難所の坂道。人力車には,私と前田の2人乗り(運転手含め3人)とても乗って進めない。仕方がなしに,坂道は歩いて移動。また,インド人(運転手)は,急な坂道に対し重たい人力車を押し移動したため,かなり疲れている模様。その後,下りは楽であり,ゲストハウスにすぐ到着。到着した後,インド人に約束の10ルピーを渡すと,かなりご機嫌斜め。(日本人頼むよ〜って感じだった)しかしながら,そんなものお構いなしに,そそくさとシランプリ。(インド人びっくり)どうも,10ルピーでは納得がいかないみたい。が,約束は約束。(ルールはルール)なんも悪いことはしていない。
着いたのはいいのだが,私の足は一段と腫れ上がり,ほとんど身動きが取れない状態になっていたのだ。こんな状態だったので,各国の部屋は回れず,一番近いタイチームの部屋に侵入することになる。入るとドラミちゃん熟睡状態だったが,お構いなしに起こす。
体の疲れと,ちょっと酔いちくれ状態だったので,みんなを起こし回った私だったが,先に寝てしまったのだ。そのおかげで,かなり反感をかい,寝ている間に顔に落書きされていたみたい。   
子供たちの一部がデリー行きの列車にのるため,朝,4:45起き,駅に見送りにいく。(さすがに眠いし&足が痛い)また,顔は落書きをされたままである。バスに乗り込み駅まで見送りに行ったまでは良かったのだが,足の腫れが引かなかったため,ホームまで降りずにバスの中で見送る。その後,ホテルに帰り熟睡。(落書きされたまま)
10/31

朝,目がさめると,あまりにも足の痛みがひどかったあめ,痛み止めの薬を飲む。お腹は壊すことがなかったが,原因不明の痛みに侵されることになる。
午後,薬のおかげで,足の腫れもだいぶん収まり,町に出かける。(インドの薬は即効性あり?あら不思議)
町へ出かけると河辺さんと高山しゃ〜は,腕にペイントをしてもらう。(もちろん,ご自分の子供の名前入り)
また,通りを歩いていると,女子大発見。下校みたいだったが,女子大生は原付バイクにまたがり,まるで暴走族が走っているかのように校門からエンジンふかして帰ってゆく。
その数(100台以上)おそろしや〜
17:15〜デリー行きの列車に乗り,また6:30かけて移動する。(たまりません)
また,行きの列車と同じように,食べ物が次々と運ばれ睡眠の邪魔をするし,運ばれてくるのは,スパイスが効いたカレーばかり。(カレーはもういいや〜)
23:00ホテル着。列車の中で,何も食べなかったため,お腹ペコペコ状態。しかしながら,疲れていたためだろうか,部屋に入ったとたん,寝てしまった。(おやすみなさい〜)
11/1
 バスでアグラ城+タージマハール見学のため移動(4時間半)
移動の時間(4時間半)でも,インドの旅でなれちゃったみたい。
高速道路(高速道路といっても,牛が横断する光景を見るぐらいだから,皆さんも想像つく道路事情でしょう。)
午後,マクドナルドで昼食。ほとんどの方は,フィレオフィシュバーガー,ポテト,ドリンクを注文したが,冒険心が強いのか,ただのアンポンタンか,解からない前田は,何故かチキンバーガーを注文することになる。(何回お腹をクラッシュすれば解かるのか?こりないやつである。)注文したものがくると,前田が注文したものは大当たり!またしても,クラシュの元になるようなバーガーである。(ちなみに,フィレオフィシュバーガーは大正解)普段,日本で食べているものが,ここインドでは,革命的と思えるように美味しく頂く。(ありがたやぁ〜)しかし前田,チキンバーガーもくもく食べる。(クラッシュは大丈夫なのか?)
昼食を終え,再び出発。(後2時間!運転手頑張れ!)2時間もなれたもの,アグラ城に到着。(世界遺産)
アグラ城を一目見ての一言!「でかい!」(それもそのはず,84年もの月日をかけ完成とのこと)歴史とロマンを窺い知ることが出来る。
お城の中に入ると,これまたびっくり。模様を彫刻で彫り細工をしている大理石や,数々の宝石を壁に散らばらせた部屋。見るもの全てが驚きであり感激である。(その時代の権力が窺える)
また,城から見え,そびえ立つタージマハール(世界遺産)。その姿は,雄大と構え美しく,あれがお墓だとは,想像つかない。(明日の見学は楽しみだ)
 その夜,アグラの町で宿泊。ホテルはこれまた美しく,部屋の中は,ほとんどが大理石で出来ている。食事は,バイキング形式であったが,ここでもカレーだったため,みんなの食事がすすまない。そのため,アトムが私たちのために,特別メニューパスタを注文してくれた。(なんだ,あるじゃない!)これがうまい!うまい!食がすすみ過ぎ,堺コーチがとまらない。(この堺コーチ,インドに来てからただ一人,太ったみたい。どんな国にいかれても,生きていけそうな,ほんと頼りになる方である。)
その夜,私は風邪気味だったため(ホテルの部屋にある扇風機が,速度の調整が効かなかったので風邪をひいたみたい)部屋に帰ってすぐ寝てしまった。
11/2
タージマハール(世界遺産)を見学。
私もいろんな各国の世界遺産を見たことがあるが,そのスケールのでかさに感動する。また,この造られた意味を知れば,王の愛の深さに触れ,心表れる。ここアグラの町に4時間半かけて見学に来たが,それだけの価値のある建築物である。

タージマハルを”つまむ”堺選手
その後,4時間半かけ,デリーに戻る。その夜,デリーの日本人会の皆様が,私たちを食事に招待していただいた。メニューは日本食。日本食最高!ばんざ〜い!また,日本食もさることながら,温かく私たちを迎え入れてくれた日本人会の方に,ばんざ〜い。しかし,だた一人浮かない顔をしているもの発見。アトムだ。時間も22:30を過ぎても場は盛り上がる一方。アトムは,デリーに住み,本日の夜は自宅に帰る。また,奥さんも子供もアトムの帰りをまっていることだろう。このアトムの家は,デリーと言っても町外れで,タクシーで1時間半もかかるみたい。
その夜,アトムが我々をホテルまで送ってくれて,帰ったのは23:30。アトム,感謝してるよ。(ばんざーい!)
11/3
インド遠征最終日
9:00からデリー市内観光。かなりスケジュール的にハードな一日になり,見るところ見るところ素晴らしいのだが,皆さんちょっとお疲れ気味。強行スケジュールだったので,昼食になった時間は14:00ぐらい。メニューは,もちろんカレー。インドにきてから,カレーを見るだけで勘弁してくれとなげいている人も多い中,ここのチキンカレーは,日本人好み。(豆カレーはうんざり)また,タンドリチキンがうまい。漠々たべていた。
昼食後,空港に向かう。日本に帰るのは嬉しいが,何だかインドを離れるのは寂しい。
(特にお世話になったアトム,離れるのは寂しいが,出会って嬉しかったよ!)また,いつの日か再会したいものだ。だから,「有り難う」はいったけど,「さよなら」はいわなかったよ。
空港では,日本人観光客が目立つ。この観光客の中で,あれば絶対関西の人だな。と言う事件があった。私は見てないのだが,中の免税店での話である。一人の日本人女性(60歳前後)の方が,定員に品物の値段を尋ねる(日本語)と,12,000円ぐらいと言われたらしい。そこで,この女性が一言。「私は日本円で1万しかもってないから1万でいいやろ。」と日本語でいい,交渉せず1万円札をおいて立ち去ったらしい。おそるべし。しかし,免税店で値切るとは,私も初めて聞いた。
 今回の柔道遠征を振り返ると,各地で私たちが想像していた以上の反響でした。子供達が私達に逢いたい情熱,教わりたい情熱が私の胸に飛び込んできました。だから,もっともっと,子供達に触れ合い教えたかったです。
また,今回,柔道の基本を中心に教えました。基本を教えるのは大切ですし,日本柔道界の使命という認識がありました。ですから,改めて,柔道の奥深さと素晴らしさに触れることができ,充実した遠征ではなかったでしょうか。
これから先,何年,柔道に携わるかわかりませんが,この遠征が私を一回り大きくさせ,今後の人生に+だったと思えるよう,また,子供たちのひた向きな姿勢を忘れないように,私も初心の心をもち続けていきたいと思います。
以 上